五本松かくれ滝からハーブ園散策

新神戸駅から布引の滝を横目に、今回はその奥まで足を伸ばしました。見晴らし展望台から、”猿のかずら橋”辺りは、木陰で歩きやすく心地よい道です。
と、突然水音と共に滝が現れました。これは通称「浅見の滝」と呼ばれていますが、「五本松かくれ滝」が正式名称です。中央区にある選定委員会がもうけられ、887件の候補から正式に命名されたのは今から13年前のことです。布引貯水地からオーバーフローした時に放水路として流れている滝ですので、いつも見られる訳ではありません。
←めったに見られない「五本松かくれ滝」

 

そこから、美味しいすき焼きが名物の「紅葉の茶屋」で悦子女将さんに挨拶をしようと立ち寄りました。
早朝8時前ですが、すでに数人の方が茶屋前の広場で宴会をされていました。この辺りの山道をきれいに掃き清めてくれている人たちでした。ここは、女将さんの笑顔がすき焼き以上に人を惹き付けているようです。
さて、ここから、桜茶屋を通り天狗道の手前の近道を歩きました。天狗道は休日ともなると、全山縦走中最後の難関とも言える道の訓練のために、果敢に挑む人が絶えません。がこちらの道はハーブ園への近道ですが、ほとんど出会う人はいません。
           ↑ハーブ園でのドイツ祭り

さて山道から、ハーブ園訪れてみると、大勢のマスクをした人で賑わっています。中庭のテーブルやベンチで各々にお弁当やドイツビール、ハチミツのソフトクリームなどを食べながら楽しまれていました。
ハーブ園内の坂道で、シュウメイギクやコスモスやレストランで出される野菜を見ながら、芝生広場まで来るとセンニチコウが満開でした。ハンモックでお昼寝ができるようになっています。
街中からすぐ背後に、素敵な癒しのゾーンがあるしあわせを改めて感じました。

2020-10

 大倉山公園と伊藤博文の銅像

このコロナ禍で神戸中央図書館によく足を運んだ、という人も多かったかと思います。さて、図書館や文化ホール、散歩やランニングもできるふるさとの森、中央体育館まで含む「大倉山公園」についてご案内したいと思います。
この辺りは、もともと「広厳寺山」とか「安養寺山」と呼ばれていて、「大倉山」といれるようになるのは明治に入ってからのごとです。
ここに、謎の建造物があります。約9メートル四方で高さ4~5メートルの正方体にピラミッド状に石段が積まれている、立派な主のない台座です。
この台座の主は、伊藤博文でした。明治憲法を起草し初代内閣総理大臣を務め、また初代の兵庫県知事も務めた人ですから県民にとってもなじみ深い人です。最初の伊藤の銅像は、1904(明治37)年に湊川神社に設置されましたが、日露戦争後に日本がロシアと結んだ講和条約に怒った民衆が像を倒してしまいました。
しかし、伊藤が1909(明治42)年にハルビンで反日派の韓国の青年に暗殺されると、また銅像再建の話が持ち上がります。
それは、明治の動乱期に御用商人として活躍し一代で財を成した実業家、大倉喜八郎によるものでした。
長らく伊藤と交流があり、こよなく尊敬もしていた伊藤が、気に入っていた大倉山の地に立派な台座を造り、銅像を建てるので、伊藤の功績を顕彰するための公園として市民に開放してほしい、と「大倉山公園」が開園したのは、1911(明治44)年のことでした。
しかし太平洋戦争で金属供出が求められて、また伊藤像はなくなり、その後は再建されることなく見上げるような台座だけが残りました。
居留地にも「伊藤町」としてその名前が残されています。
が、69歳でなくなるまでの伊藤博文の波乱な人生を象徴しているかのような、巨大な「台座」です。
また、時代の激動期に固く結ばれた、実業家大倉喜八郎と、政治家伊藤博文の絆の証だった「大倉山公園」、ゆっくりと散策してみてください。

虹の石 ~後藤比奈夫さんのこと~

 

2020年6月5日に、俳人 後藤比奈夫さんが亡くなられました。1917(大正6)年生まれですから、103歳でした。
私が高校生の時に、現代国語の教科書で習ったことのある人でした。その俳句の世界では有名な重鎮の後藤比奈夫さんとの、間接的な出会いの始まりは、今から25年あまり前のことです。
風の強い寒い日に、老夫婦が案内所に来られ、「後藤先生の虹の石の句碑は、何処にありますか?」と尋ねられました。
その時、恥ずかしいことに、私はその存在を知らなくて、調べるのにしばらく待って頂きました。
そして、ようやく東遊園地の南東あたりにあることがわかりました。
しかし、他所から来られ、この辺りに詳しくない人が行くのはたいへんだろうと、ご一緒することにしました。

「虹の足とは ふ確に美しき 比奈夫」
と刻まれた句碑は、大きな手水(ちょうず)鉢のような彫刻作品でした。

 

句碑~虹の石~(彫刻作品)。
文学とアートのコラボレーション
造形作家 河口龍夫氏作
(神戸出身)

この句碑は、ご自身の目で確かめて、感じて頂くのが一番。東遊園地の東、フラワーロードにあります。

神戸出身の有名な造形作家、河口龍夫氏による作品で、くり貫かれた黒御影石の、底に俳句が彫られていています。
後藤比奈夫さんの俳句は、水面越しにゆらゆらと見えています。
でも、時には、空や、落ち葉や近くの大きなくすの木などが映っていますから、意識しないで歩いていると、うっかり通り過ぎてしまうこともあります。
お二人は、その美しい句碑との出会いを、とても喜んで帰られました。
後藤比奈夫さんの主宰されていた俳句の会に、徳島から参加されて、
帰路、一目「虹の石」を見ておきたかった、ということが、後に頂いた葉書でわかりました。
その後、ご縁があって、後藤比奈夫さんのお孫さんにあたる
和田華凜さんと出会い、少し俳句を習う機会もありました。
句碑で、これほど素敵な句碑は他にはないように思われて、私は今でも、あの日に偶然訪ねて来られた老夫婦に感謝の気持ちでいっぱいです。

クリスマスローズ そんなに 俯くな

六甲山にも それなりの 登山地図

集団で してゐる主張 吾亦紅(われもこう)

アネモネの 好きな彼女を 思い出す

など、4年前の後藤比奈夫句集「白寿」から、ワクワクとドキドキの作品を選んでみました。

山手街園(バラ園)

気がつけば花の盛りを今年は一度も目にしないまま、季節は過ぎようとしています一という文章に、目が留まりました。桜のお花見のことに触れてのエッセイの一部でした。
お花見どころか、マスクをして、すれ違う人たちともなるべく一定の距離を置いて、という自粛の新しい生活スタイルが、次第に身についてきました。が、逆に、名前もわからないような小さな花や、道端でふと見つけた雑草でさえいとおしく感じますね。
今回は、目にいっぱいのバラの花に癒されるスポットをご紹介したいと思います。

昔から多くの人が行き交う主要幹線の中山手通りに、ひときわ目を引く花園があります。
この「山手街園」(以降通称のバラ園に)が造られたのは、昭和39年頃のこと。
ちょうど戦後の復興期で、街にひとときのやすらぎを、と自宅でバラの育成を手がけていた筑紫六郎さんの寄付金をもとに、神戸市が窓口となって「神戸市街頭バラ園創成基金協会」を作り、街頭にバラを植樹することになり、生まれたのが山手バラ園です。
当時から街路樹といえば、アオギリやヒラドツツジ、アベリヤなどと決まっていて、このようにバラは珍しかったそうですが、今でも、緑地帯にバラを植えている例はほとんどありません。
協会は昭和55年に解散しましたが、その後の管理は神戸市に引き継がれました。現在の山手バラ園は平成4年に改修され、約500㎡の園内には、15種550株のバラが5月から11月まで咲き継ぎます。
とりわけ、今5月は見事なバラを愛でることができます。
誰でも通りすがりに、また車の中からでも見ることができます。
こんなときだからこそ、みんなでわざわざではないお花見を
楽しんでください。
山手街園(バラ園) 中央区中山手通4丁目

「神戸市民山の会」のこと、知っていますか?その1

 

神戸ほど、山と海がバランスよく仲良く配置されている大都市は他に見当たらないように思います。
今日はちょっと山登りでもしようか、と急に思い立っても、どこからでも、すぐに山にとりつくことができます。
というのも、六甲全山縦走路、太陽と緑の道、山麓リボンの道、徳川道など眺めているだけでも楽しくなるような道が、きちんと整備され手入れされて、縦横に走っているからです。
さて、私もある日曜日、用事を済ませたのが10時で、一旦もう今日は無理かなぁ、と諦めかけたのですが、思い直し「市民山の会」に参加することにしました。
新神戸駅9時集合にはとても間に合わなかったので、元町駅山側から大師道を逆走して、すでに出発して数時間で再度公園でお昼休憩をして下山してくる一行を待ち受けることにしました。大師道を登り詰めた所の猩々池で、この日の参加者243人と合流して、再び諏訪山公園まで下山しました。それでも、2時間半で11キロ約18000歩は歩いていました。
心地よい汗をかいて自分としては大満足の休日でした。
毎日登山の会や、各地に支部を置いている「神戸ヒヨコ登山会」などをまとめて、神戸市全体の組織として「市民山の会」ができたのは昭和23年のことでした。
神戸市民のレクリエーション活動として、登山を通じた健康づくりが目的に神戸市がしていますから、誰でも参加することができます。

布引の滝で”野点”しませんか

 

新神戸駅から山道を約20分ほど登ると、「布引の滝」4つの滝で一番大きな雄滝(おんたき)に着きます。
市街地からこんなにも近い所に、姿の美しい、雄壮な滝の景色に出会えるのは、全国的にも珍しいので、近年は日本各地からのみならず、欧米を中心に世界各地からの観光客が、「神戸の秘境」として訪れています。
さて「神戸布引 野点」として初めて開催されたのは、、2017(平成30)年5月でした。新緑と紅葉の頃に計画されて今回は4回目となります。
堅苦しくてハードルの高い”お茶会”ではなくて、コーヒーを飲むような感じで気軽に参加ができて、なお、茶事に親しんでもらいたい、と有本先生(表千家)が茶席を担当してくたさいます。
雄滝の水の音がBGM、という贅沢さです。
咳払いをしても、お茶碗を何回どちらに回しても、気兼ねをする事なく、登山の服装で参加してくださいね。
まずは、季節のならではの和菓子をいただいてから飲む「お茶」の美味しさ、は格別です。
行きは滝を眺めながら、帰りは、中央区では屈指の紅葉の名所の徳光院を抜けて下山が、おすすめです。
駆け足で過ぎて行く季節を、こんなにも近くで楽しむことができます。

日時:2019年 11月30日(土)一席10:20~
二席11:10~
三席~13:20~
四席~14:10~
(所要時間: 各30分)
場所:おんたき茶屋
※雨天決行
参加費:800円
定員:各席15名(椅子席)
申込み・問合せ:078(241)3484

さんちか 花のある空間

神戸で初めての地下街「さんちか」(昭和40年に出来た時はさんちかタウン)は、これまで、少し時代の少先取りをするために、斬新な企画や提案をしながら”街づくり”をしてきました。
例えば、JR三ノ宮駅、阪急三宮駅から繋がっている、大きなエスカレーターのある広場には、開業から五周年に「泉のある広場」(昭和45年)を造り、2年後の昭和47年には「彫刻広場」として360度どこからでも鑑賞できるARBA象を設け、多くの人に待ち合わせの場所として親しまれました。
現在も、見上げるようなな生け花や季節ごとのオブジェなど、常に注目されるようなさんちかならではの取り組みをしてきました。
二十周年には、メインストリートに面して「インフォメーションこうべ」という、市政・余暇・住宅相談のできる案内所を作りました。
さて、さんちかの通路や広場、階段には、一年中、通り行く多くの人に和みや安らぎをさりげなく演出している”花”があります。
これは、「さんちかタウン」が開業した時(昭和40年)からずっと神港農園芸さんがお世話されています。
太陽の光も風もなく、数十万人の人が行き交う通りで埃をかぶり、苛酷な条件の下で、いつも枯れた葉や萎れた花と丁寧に向き合われています。
駅を降りると、ほのかに、さんちかの広場近くから良い香りがしてきました。
階段の所に植えられているジャスミンでした。
花は、人の思いに応えるものだと思いながら、毎日感謝しながら階段を登り降りしています。

相楽園会館

北野の街並みからほんのわずかしか離れていない所に位置する日本庭園「相楽園」、元は、1885(明治18)年頃から着手されて1911(明治44)年に完成した、小寺泰次郎氏の邸宅でした。第11代神戸市長小寺謙吉氏の先代にあたる人です。
神戸市に譲渡され、「相楽園」と名付けられたのは1941(昭和16)年のことです。それまでは、「小寺邸」とか「蘇鉄園」と呼ばれていました。
神戸市が管理している重要文化財6つのうち、相楽園には「旧小寺家厩舎」「舟屋形」「旧ハッサム住宅」があります。
日本式の庭園ですが、正門から入ると、樹齢300年を越えるものも含め100株以上の見事な蘇鉄が迎えてくれ、なんとなく和風のなかに、南国的な不思議な雰囲気を醸し出しています。
相楽園の中にあり、55年に亘り、神戸市の迎賓館として交流の歴史を重ねてきた「相楽園会館」が、2018年12月12日に「THE SOURAKUEN」として生まれ変わりました。ウエディングやレセプション、予約制のレストランやパーティースペース、カフェなどがあります。
北野クラブ、ソラなどを手掛けている「クレ・ドゥ・レーブ」社が、伝統の上に革新的な味付けをして、リニューアルして開業しました。
カフェ「相楽園パーラー」で、ようやく念願のランチをしてきました。
6000坪の見事な庭園を眺めながらの贅沢な空間は、依然として変わりありませんでした。
林立するビルを借景の「相楽園」、真新しい風も愉しむことができました。
まさしく、あい楽しむ「相楽園」です。

生田神社のこと

生田神社(西暦201年創建)は、初詣だけでなく、通年人気のスポットです。
元は、新神戸駅の背後にある砂山(いさご)にありましたが、約1200年以上前の水害で倒れた松が社殿を押し流してしまった、という伝承があり、それ以来、松は頼りにならない不吉なものになってしまいました。そのため、新年は、本来は神様が降りてくる階段のような役割の松を使った「門松」ではなく「杉盛り」が使われています。境内には一本の松の木もなく、くすのきが生い茂っています。この全国的にも珍しい「杉盛り」は、今や多くの人に知られるようになりました。
さて、神社の一番奥にあるのが第三鳥居で、東急ハンズの近くにあるのが第二鳥居、かつて生田神社の参道だったセンター街の南にあるのが第一鳥居です。この中で唯一朱色でないのが第二鳥居です。今年で阪神・淡路大震災から24年になりますが、
生田神社も拝殿も倒壊、また石の第二鳥居も根元から崩れてバラバラに折れました。復興を急ぐ生田神社に届けられたのが、式年遷宮で使われなくなった古財でした。再利用された鳥居は2015(平成27)まで使われて、引退しました。それから、再び伊勢神宮から、すでに60年間使われたものなので、内部に鉄骨や樹脂を入れて補強して、表面を化粧直ししてから使われているのが、白木のままの今の第二鳥居です。
こんな繁華街のまん中に、1800年以上の由緒のある神社があるのも神戸の人の誇りですが、伊勢神宮どのゆかりもある、ということもわかると、美しい木の肌の鳥居をくぐるのも何とはなしにさらにご利益があるような気がします。

2019年1月25日号

「米処 穂~みのり~」の話

元町5丁目に、去年できたばかりの”おにぎり屋さん”が「米処 穂」です。ずっと気にながらやっと行くことができました。
栄町通りに面した角にある風格のあるビルの一階に、お店はあります。
この建物は、大正年10年に帝国生命保険神戸出張所として建設。その後、日本放送協会関西支部神戸出張所(現NHK神戸支局)が、神戸地区最初の放送基地として産声をあげ、昭和24年まで活動、平成16年には国の登録有形文化財に登録されました。
この地域の語り部として大切にされているこのビルで「米処 穂」をされているのは、1902年に創業のコメ卸業、「神明」です。今年で創業116年という歴史を持ちながら、保守的なコメ業界の中で、”コメの総合カンパニー”を目指し、さまざまな取り組みを行っているのが「神明」さんです。
ブレンド米”あかふじ米”を流通させるなどは業界初の試みで、次々と改革を起こしてきました。
さて、お店はというと、天井が高く素敵な空間は、まるでお洒落なカフェバーのようです。
清潔な店内できびきびと働かれている店員さんも感じがよくて、しばらくみとれていました。
日本で一番高価とされている銘柄”いのちの壱”をもおにぎりにされています。丁寧に炊かれたお米は、一旦お櫃に移されて、余分な水分を吸わせてから握られたおにぎりは、ただ美味しいというのではなく、やさしい味わいでした。
私には、おにぎりにまつわる深い思い出がたくさんあって、外で食べたいと思ったことがなかったのですが、初めて、このお店でおにぎりを食べてみたい、と思いました。
神戸市中央区元町通5-2-8
☎078-371-2888

2019年1-1