八社巡り  ~節分の日の厄除け~

「地球の歩き方」(1979年創刊)は、ひと昔前、世界を旅する学生にとってはバイブルのような存在でした。が、海外旅行離れと紙の書籍離れに、海外渡航の制限が追い討ちをかけて売り上げはほぼ消滅。ところが、今国内の「御朱印」シリーズなど次々と巻き返しを図り活路を見いだしている、という記事を驚きつつ興味深く読みました。
御朱印での寺巡りブームは,全国的な傾向になっているようです。
さて、その神戸でのブームの、再来のきっかけのひとつが「交通局御朱印悵」です。
2014(平成26)年に、市バスの乗車促進のため、市バスで巡る参拝者向けのパンフレット「御朱印悵」(無料)を、5000部作成しました。ところが、あっという間になくなり、すぐに15000部を増刷することになり、8年間で既に4万部を配布、案内所での根強い人気者になっています。
神戸には古来、節分の日に、一宮から八宮までの数字を冠した神社を巡拝して厄を払い願いを祈る風習がありました。
古文書には、生田神社と縁故の深い「裔神(えいしん)」として、8社の名が記されているので、少なくとも江戸時代にはこの風習があったのではと推測されています。一時下火になりましたが、戦後、神戸の厄除八社として協力、今のブームに繋がってきました。八社の位置を地図で見てみると、生田神社を北斗七星の柄杓で囲むように配置されています。
一宮から順番にとか、厄除けに拘らなくても、思いたった時を吉日にどの神社からでも初めてみてください。
一巡すると約13キロ、歩くだけで3時間はかかりますので、市バス・地下鉄も利用してくださいね。
「市バス八社巡り」御朱印悵には、田辺眞人先生による詳しい解説が載っています。
御朱印悵は、市営地下鉄の各駅や神戸市総合インフォメーションセンターなどに置いています。

2022-1

田辺聖子さんの事

1964(昭和39)年「感傷旅行」で芥川賞を受けられ、2000年には文化勲章を受賞された田辺聖子さんが、2019年、6月6日に91歳で亡くなりました。
田辺さんは昭和3年に大阪の福島にあった写真館の長女として生まれました。1945(昭和20)年6月の大阪大空襲で自宅が
焼失、19歳から金物問屋さんに勤めて家計を助けました。
傍ら27歳のとき、学生や社会人、主婦など幅広い人たちが小説や詩やエッセイを学ぶ大阪文学学校へ通い始めています。
実は私も、1994年から、三宮の案内所の勤務を終えてから、大阪文学学校の詩、エッセイのクラスに数年間通って、書くことの勉強をしました。日本で一番古い、働く人のための文学修行の場であるということと、この学校から田辺聖子さんという偉大な作家が生まれた、ということが、学校を選ぶときの大きな動機になっていたことを、今でも思い出します。
田辺さんの当時の担当講師(文学学校ではチューターといいます)が、毎週一回の、生徒の作品を持ち寄りお互いに合評をする授業にも100枚近くの作品をエネルギッシュに提出されていた、と言われていますので、どれ程の体力と気力で書かれていたか私には容易に想像できました。
1966(昭和41)年、神戸市兵庫区荒田町の開業医川野純夫さん(2002年死去)と結婚して、いきなり四人の子どもを持つことになりましたが、婚姻届けを出さず事実婚を通されていたとの事を知り、時代の先取りをされていた生きざまも知り驚きました。
「深いことを軽く、やさしく、面白く」が書く時の姿勢で、
軽妙な文章に加えて、人間への眼差しのやさしさを貫かれていたことは、「新源氏物語」を再読してみてもよくわかりました。
神戸市内の病院で亡くなられたその翌日、お身内でのお別れ会をされる所に、私も偶然行き合わせる事になりました。
大阪文学学校への入学から、田辺聖子さんに導いてもらったことも、また、最後、田辺聖子さんが眺められていたであろう同じ神戸の街の景色の中に、自分がいたことが不思議でなりません。
「時代の精神を歌う中島みゆきと、時代のライフスタイルを歌うユーミンを足したような人」が田辺聖子さんだと、いつもは辛口のライターさんが書いていたコラムに、深く頷きました。

兵庫津歴史館 岡方(おかがた)倶楽部

兵庫津(ひょうごのつ)は、古代から明治まで国内外の交易の要衝でした。平安時代には「大輪田泊」(おおわだのとまりと呼ばれ)平清盛が修築し、また江戸時代には北前船などの瀬戸内海運の拠点となり栄えた港でした。
この辺りが、江戸時代後期に幕府領になった後、兵庫津を管轄するために、海岸に近い南部の地域を北濱、南濱、内陸部を岡方と三分割しました。
岡方はこの三方の内でも、西国街道に接する海運、陸運の結節点として栄えました。
「岡方倶楽部」は、海陸の要として繁栄を極めた岡方総会所の跡地に、兵庫商人の社交場として昭和2年に建設されました。
鉄筋コンクリート三階建てで、大正時代に流行したモダンな様式で、タイルと石を張りめぐらせた外観や正面玄関のアーチ装飾などは、古びてはいますが今でも魅力的で、91年前ならさぞや話題になった事だと思います。
この岡方倶楽部の建物は、大正13年に新川運河に架けられた「おほわだばし」と共に、太平洋戦争の戦災にも、阪神・淡路大震災にも耐えて生き残った貴重な遺産と言えます。