兵庫津歴史館 岡方(おかがた)倶楽部

兵庫津(ひょうごのつ)は、古代から明治まで国内外の交易の要衝でした。平安時代には「大輪田泊」(おおわだのとまりと呼ばれ)平清盛が修築し、また江戸時代には北前船などの瀬戸内海運の拠点となり栄えた港でした。
この辺りが、江戸時代後期に幕府領になった後、兵庫津を管轄するために、海岸に近い南部の地域を北濱、南濱、内陸部を岡方と三分割しました。
岡方はこの三方の内でも、西国街道に接する海運、陸運の結節点として栄えました。
「岡方倶楽部」は、海陸の要として繁栄を極めた岡方総会所の跡地に、兵庫商人の社交場として昭和2年に建設されました。
鉄筋コンクリート三階建てで、大正時代に流行したモダンな様式で、タイルと石を張りめぐらせた外観や正面玄関のアーチ装飾などは、古びてはいますが今でも魅力的で、91年前ならさぞや話題になった事だと思います。
この岡方倶楽部の建物は、大正13年に新川運河に架けられた「おほわだばし」と共に、太平洋戦争の戦災にも、阪神・淡路大震災にも耐えて生き残った貴重な遺産と言えます。

幻の徳川道2

前回は、幕末に開港した神戸に在住する外国人と、日本人との衝突を避けるために作られた「徳川道」のことを書かせてもらいました。
現在の金額で約32億円の莫大な出費と、わずか2ヶ月という幕府の威信をかけた突貫工事で普請された「徳川道」は、大名行列が参勤交代で通ることは一度もなく、”幻の道”になってしまいました。
さて、神戸ヒヨコ登山会の例会として「幻の徳川道(全行程)を歩く」という企画がありました。
一回目は4月8日に東の起点、阪神石屋川駅~杣谷峠~穂高湖~森林植物園までの約10キロを歩きました。この日は途中で季節外れの雪が舞い、山桜との見事な景色を眺めることができました。六甲山上の道は平坦で、コバノミツバツツジがひそやかに咲いているのを右に左に眺めながら歩くことができました。
二回目は、森林植物園からでしたが、途中で降りだした土砂降りの雨で西鈴蘭台で中止になり、6月9日にその続きを歩きました。星和台~藍那~しあわせの村~大歳神社~奥畑団地造成地区~総合運動公園前までの全部で約13キロ。住宅地や山中など起伏に富んだ道でした。
三回目は、総合運動公園前~奥畑~高塚山~長坂~神戸学院大学前~朝霧~大蔵海岸までの約10キロ。
全行程約8里(約32キロ)を歩きとおしてみると、既存の道も使いながら、行列の人馬の負担を軽減できるように、なるべく歩きやすく起伏は作らないような配慮もなされていました。
驚きは、この難所も含めたたいへんな工事を請け負った石井村の庄屋、谷勘兵衛さんと25ヵ村の人たちの結束力です。
「幻の道 徳川道」は、昭和50年から三年係りで本格的な調査がなされて、それから全コースを整備されました。
神戸の宝でもある歴史的な道「徳川道」、地図上だけでも一度俯瞰してみてください。

幻の徳川道1


徳川道は、石屋川~摩耶山裏~藍那~白川~大蔵谷までの約32キロ(約8里)の道のことで、「西国往還付替道」が正式名称です。
幕末、開港した神戸に在住する外国人と日本人との衝突を避けるために、外国人と接触しないように作った迂回路でした。
総予算額3万6千両(現在の貨幣に換算すると36億2000万円)の大工事で、工事を請け負ったのは兵庫石井村の庄屋・谷勘兵衛さんで、沿道各村合わせて25ヵ村が協力してこの大工事にあたりました。
工事期間は約2ヶ月で、この大きなプロジェクトは予定どおりに兵庫開港日の12月7日くらいには竣工していますから、驚きの突貫工事でした。
外国人との接触トラブルが、日本の植民地化への導火線となることを恐れて急きょ着手した道でしたが、工事が完成した直後に徳川幕府は崩壊し、明治政府が成立しました。
本来の目的の、大名行列がこの徳川道を通ることは一度もありませんでした。
しかし、皮肉なことに、1868年1月、新政府の命令で西宮の警備に向かっていた備前(岡山)藩の部隊は、この道を通らないで 従来の西国街道をを行軍し、居留地に近い三宮神社の前で外国人と接触し、神戸が一時外国人に占拠される、という事件になりました。(神戸事件)滝善三郎が切腹することで落着しましたが、開港にあたり最も恐れていたことが、結局は莫大な出費で普請された徳川道が使われないままに起きてしまった、ということが「幻の道 徳川道」といわれている所以です。
六甲山上の穂高湖からは、歩きやすい気持ちのよい道ですから、150年前に思いを遡り歩いてみてください。

日本ではじめての水族館

神戸には、日本で初めてと、言われているものや施設などがあちこちにあります。今回は、「神戸市立須磨海浜水族園」の歴史をたどってみました。

京都で第4回 内国勧業博覧会が明治28年に行われた時に、これに協力した神戸市が博覧会付属の施設として、和田岬の遊園地「和楽園」に「和田岬水族放養場」を開きました。このときは身近な鯛やヒラメ、イカなどが水槽に放たれているようなイメージの展示でした。この博覧会を見物に来て、好意的な随筆を小泉八雲が書いています。
さて、この2年後の明治30年に、第2回大日本水産博覧会が和田岬で開かれた際に、「和楽園」内に会期中に限って水族館が作られました。海水の水槽にポンプやバルブなどのある本格的な循環ろ過装置を備えていました。この「和楽園水族館」が、日本初の本格的な水族館とされています。その後、明治35年に湊川神社に移転されたり、昭和5年には湊川公園に作られたりしましたが戦争で焼失しました。

昭和32年、須磨に当時東洋一の規模の「須磨水族館」が誕生。現在の「須磨海浜水族園」となったのは、昭和62年です。
さて、今年で3期目になり”神戸須磨アクアイルミナージュ”が2月12日まで開催されています。
入園料はそのままで、夜も含め魅力的で、かつ歴史のある水族園を楽しんでください。

心にやさしいお店のこと

さぁ❗️今日は何か美味しいものを口にしたいなぁ、って思った時や、
不意に大事な友人が来て、とりあえずではなく、楽しいランチタイムをしたいなぁ、という時に迷わず行きたい、とっておきのお店があります。
「Kitchen Witch」(キッチン ウイッチ)です。
長年、地下鉄沿線の大学生で賑わう
街で、かわいい喫茶店をされていましたが、昨年、エイヤ❗️と思いきりよく、三宮の目抜通り、北野坂沿いに移って来られました。
普段は、 夜の帷(とばり)がおりる頃にネオンがきらめく、”北向地蔵さん”の向かい側にあるビルの4階に上がり、恐る恐る入り扉を開けてみましょう。
魔女(ウイッチ)が目印です。
健康的な日がさし込む窓があり、チャーミングな笑顔の人が出迎えてくれます。
野菜ソムリエの資格を持つ人が作る”野菜たっぷりのごちそうランチ”。
十六穀米は自分でブレンド、サラダのトッピングのカリカリ玉ねぎも、イクラ風の小さな寒天も、その日のおつけものも、デザートの小さなケーキもすべてお手製です。
私の友人は「これは美味しい薬膳」だと感激していましたが、今や、体にも心にも優しいことが、一番の贅沢なご馳走なのかもしれません。
ちょうど私がランチに行った日に、カウンター席で、平均年齢85歳の女子会が始まっていました。ね❗️美味しいでしょ❗️とまるで自分が作ったかのごとくに自慢されていました。
このお店の、チャーミングな笑顔の美人魔女ママさん、の大好物は「美味しかった」のようですよ。
本当は内緒にしておきたい、とっておきのお店なんですよね…。
キッチン ウイッチ
中央区中山手通1―8―1明関ビル4階
ランチタイム1130~1400
1700~

便利な図書館

本を読みたい、と思った時に、先ず、本屋さんに行きますか。
私はどちらかというと、よく本を読む方なので、家の本棚がだんだん一杯になり、これ以上置き場所がなくなってきました。
そういう訳で、図書館で借りることが多くなりました。
職場から近い三宮図書館が便利で良く利用しています。
5年前から、市内11か所の図書館以外に「予約図書受取コーナーが」ができました。
広い北区、西区は4か所で各区に1か所、全部で14か所設置されています。インターネットで予約申し込みをした市立図書館の本を借り
返却もできます。
それぞれの施設で開いている時間やお休みが違いますので注意してくださいね。
お問い合わせは中央図書館●(371)3351

2018-1-26

「オリーブの魅力」

 

50実は、神戸がオリーブとの縁が深い街だった、ということをご存じですか。
明治の頃、中央区の北野町には、国営オリーブ園が存在していました。その、忘れられた歴史を掘り起こしたのが神戸大学名誉教授の中西テツ先生です。2013年には、市民団体を発足し、オリーブに関する歴史の啓発や、イベントなどを催してこられました。
湊川神社には「日本最古」とも言われるオリーブがあります。樹齢は推定140年近く、戦災も震災もくぐり抜け街を見守ってきた大事な古木です。その歴史ある古木に、昨年幹を喰い荒らす害虫が見つかり、中西先生たちはオリーブを救う為に立ち上がり、今懸命な治療を続けています。
さて、そのオリーブの権・中西先生が長田区にあるふたば学舎(旧二葉小学校)で、地域文化講座「オリーブの魅力」を開かれています。
第2回11月28日(火)
10時~11時30分
「テーマ」オリーブオイルを味わってみましょう。
第3回12月12日(火)
10時~11時30分
「テーマ」オリーブの育て方、品種のこと、実を食べてみる!
受講料:500円
●(646)8128
担当:いさやまさん

2017-11-24

ファマーズ マーケット

 

居留地の東側にある旧生田川の河川敷が、外国人専用のグラウンドとして使われ初めたのは、開港後まもなくの1875年からです。
やがて日本人にも解放されて、「内外人公園」と呼ばれ、野球やサッカー、ラグビーなどが日本中に広まっていくきっかけになりました。
「東遊園地」と改称されたのは1922年のことです。
この「東遊園地」で3年前に、市民と行政の協働の社会実験「URBAN PICNIC 」が始まりました。グランドの大部分が芝生になり、快適な空間になりました。
そして、一年を通して神戸の旬を楽しめるマーケットも開かれています。 神戸の生産者さんたちと会話しながら、野菜やくだものや苗を買ったり、カレーやパンや飲み物なども食べることもできます。
神戸らしい”地産地消の朝市”は毎週土曜日の9時~12時30分まで、雨でも開催しています。

2017-10-27

神戸三宮フェリーターミナル  

宮崎に帰る知り合いの方を見送りに、フラワーロード沿いに歩きました。
東遊園地の「虹の石」に刻まれた後藤比奈夫さんの俳句をゆっくり見て、日本で一番短い国道を渡ると、威風堂々と立派な税関の建物が見えてきます。その東向かい側には、かつて生糸検査所だった建物は、「K I I TO 」として、展覧会やイベントなどに使われ見事に再生しています。
さらに南へ行くと、今年の7月に完成した5階建ての真新しい「ポートオアシス」が見えてきます。開港150年を記念して建設された施設で、一階には、港湾関係者以外の人も利用できる食堂とコンビニエンスストアがあり、二階三階は多目的スペースになっています。
目の前の”新港第3突堤”の東側には、宮崎行きの「宮崎エキスプレス」(宮崎カーフェリー)が停泊していました。
突堤の西側からは、高松や小豆島行き(ジャンボフェリー)の船が出ています。
このターミナルは元々ジャンボフェリーだけが使用していましたが、2014年7月に「神戸三宮フェリーターミナル」として新築されました。
それまでは、大阪南港からの発着だった宮崎カーフェリーも利用できるようになりました。
この日宮崎に戻って行く知人は、インターネットの早割で予約をして、2等で6000円で、広々とした大部屋でゆっくり飲みながら帰る、とちょっとした船旅を楽しんでいるようにターミナルに消えて行きました。
1800発で翌朝830に宮崎に着きます。
ヘルメットを前かごに入れて、自転車に乗った港湾関係者が私を追い越して行きました。
神戸の原風景はやはり港、と思いながら帰路につきました。
神戸港福利厚生施設
神戸ポートオアシス
333ー2822
休館日:年末年始

2017-9-29

神戸の水の話

神戸には、世界に誇ることのできるものがいくつかあります。
神戸ウォーターは、その代表的なものではないのでしようか。
過日、貿易センタービルで「赤道を超えても腐らない水」のセミナーがありました。水のことでは第一人者の専門家、NHKの人気番組で神戸の水について紹介された水道局の松下眞さんが講師で、簡単な水の浄化実験をまじえながらの分かりやすい講座は、知っているようで知らないことばかりで引き込まれました。世界の水道の歴史に、神戸の水道創設への歴史、当時の技術の高さ、腐らない水についてなど順々にに解き明かしてもらえるようなお話でした。
来る、9月16日(土)(14時~15時30分)にも神戸登山研修所で
「布引ダムと神戸水道創設~水道の歴史と布引ダム、そして神戸~」の講演会があります。
講師:松下眞氏
暮らしの営みの中で、最も大切な命綱とも言える”水”、また神戸の財産とも言える”水”のことを
考えるきっかけにしてみてください。
50人先着順、神戸登山研修所にて
申し込みー名前・住所・電話番号・参加人数を書いてFAX 078(322)6189まで
資料代として500円

神戸登山研修所
灘区王子町2-2-1(王子公園内)

2017-8-25