あっ、この季節

「しゅぱつ、シンコー!」

「しんごう、チューイ!」

「おおぎえき、2バンセン!」

電車の先頭の車両に、見習い運転士さんのこんな声がひびきわたるのは、12月ごろ。この声が、聞こえてくると、あっ、もうこの季節か、と思うようになった。

初めて聞いた時は、その声の大きさに驚いた。制帽の紐をきっちりと顎にかけ、緊張のあまり、微動だにしないで前を向いている見習い運転士さんの横には、指導役の先輩運転手さんが座っている。

細かな注意を受ける度の、「ハイッ」の返事の声も、また大きい。

はじめは、顔を見合わせてクスッとしていた車内の人たちも、やがて慣れてきて、本を読んだり、居眠りをし始めている。

 

「御影駅、3番線」

四月、見習い運転士さんは、運転士さんになって独り立ちしていた。

もう、あんな大きな声は出さない。

私は、まだ寒い頃に、車両いっぱいに響きわたっていた、あの彼らの声を、懐かしみながら思い出している。

こうして、たくさんの見習い運転士さんを眺めながら、季節を重ね、季節を見送っている。

そして、相変わらず、運転士さんのすぐ後ろのお気に入りの席で、締め切りに追われながらの原稿を書いている、ワタシ。

2024-3

神戸の歴史がひとつ、幕を閉じる 燈篭茶屋

JR元町駅から、ゆっくり歩いてもそれほど時間がかからなくて、本格的な山登りの格好をしなくても、街歩きの延長で気軽に歩けるコースの一つが、大師道沿いにある燈籠茶屋です。

西の月見茶屋と同じく大正12年から開業されていますので、100年もの間、神戸の人に親しまれてきましたが、2024年2月18日(日曜日)が最後の営業日で、歴史の幕を閉じられることになりました。

この日は、数年ぶりという暖かな日。5月くらいの陽気で、早朝より、7時からの開店を待ちきれない人がすでに並ばれていて,その内、今日が最後と口伝えで知った方々で13時まで常に100人以上の行列になりました。

赤ちゃんを背負って、小さな子どもを連れて、大型犬をお散歩したついでに、フクロウを肩に乗せての家族連れなどの中に、インドの方々もたくさん並ばれていました。真珠などを商う貿易商の方々が、この茶屋をコミュニティの場にされていました。お目当てはおでんで、宗教上のことで食べられない食材があるので、女将さんが特別に、カツオなどのダシの代わりに、野菜の粉と昆布で特別なお鍋を出されていたとのことでした。

私も、NHK BSの「新日本風土記」(4月放映予定)という番組の立ち会いで数時間この方たちとお話ししていて、いかに神戸の人たちに親しまれていたのか、実感しました。気合いを入れた山登りのかただけではなく、むしろこの辺りに住まわれている人たちのオアシス的な存在で、3代にわたり茶屋に来て、炭火七輪で焼いたトーストやインド風ミルクティーや、おにぎりや卵焼き、お味噌汁で休日の豊かな楽しい時間を過ごされていました。

-これぞ、神戸流の楽しみ、の灯が、またひとつ消えていきました。

2024-2

須磨浦公園あたりの同窓会

いよいよカレンダーが最後の一枚になった、のに昼間は汗をかくような暖かさの日が続きました。そういえば、11年前に母を見送った日も小春日和で、斎場で黒いロングコートを脱いだことをふと思い出しました。
そんなある日、小学校の時の同級生たちと、須磨浦公園で待ち合わせをして、旗振り山までダラダラ坂道を登るという予定で、あとは行き当たりばったりのゆるゆるな計画です。
御料地だったこの辺り一帯の、鉢伏山、鉄枴山を含む広大な須磨浦公園が払い下げられたのは、1924(大正13)年。その後、現在のような林道が整備されたのは4年後のことです。
毎年2000人ほどの人が参加する六甲全山縦走大会のスタート地点でもあるこの場所は、今から330年以上も前に、大阪から尼崎経由で、松尾芭蕉も44歳の時に訪れ鉄枴山まで登っています。が、山羊の腸のような曲がりくねって険しい山道を滑りながら息を切らして難儀して辿り着いた、と滑稽に紀行文の中で描写しています。
さて、私たち一行もくねくね、ダラダラと登り、日本一乗り心地の悪いカーレーターにガタガタ乗って,旗振山(252.8m)を目指しました。100年近く前からの歴史のある旗振茶屋の森本さんにご挨拶して、甘酒でひと息つきました。
江戸中期から大正初期に電信が普及するまで、岡山から堂島まで米相場を、時速500キロという速さで旗を振って伝えた、という旗振山からの景色は、広範囲で見通しが良く見事です。そこからさらに、六甲全山縦走路を進み鉄枴山の手前から、鵯越の坂落とし、と言われている道のひとつを降りました。
古い伝統と歴史のある枚方市立樟葉小学校では、珍しい転校生だった私のことを、はじくことなく受け入れてくれて、なにくれと面倒見てくれた同級生たち。
10歳の頃の面影が、半世紀を経ても残っていて、神戸でこうして集うことのできる、不思議なしあわせを感じながら、急な坂道を転げないように、そろり、そろりと下りました。
1923-12

ある読書会のこと  「灯をともす言葉」 井戸書店にて

読書会に参加するのは久しぶりのことだった。
神戸外大で指導されていた先生を中心に、資本論から落語まで、様々な
分野の本を取り上げて議論する読者会が、コロナ禍で中断されたままだったので、ドキドキしながらの参加だ。
私にとっては初参加の読書会のことは、このDジャーナルのお知らせ記
事で知って参加してみたいと思った。神戸出身の花森安治さんの「灯をと
もす言葉」(2013年初版)が課題図書とい
うことも背中を押してくれた。
前日にようやく手にした本は、どこからでもあっという間に読めて、そし
て、キャッチコピーのような短いフレーズは、時に詩のようでもあり、ぐ
いぐいと心に刺さってくる。戦後から昭和40年代くらいに書かれた花森さ
んのメッセージは、今でも、今だからこそ響くことも多い。
1948年に「美しい暮しの手帖」(のち「暮しの手帖」には改題)を
創刊。取材執筆から表紙装釘、誌面のデザインまで自ら手がけた。
そのデザインは、シンプルで可愛いのに、おしゃれで今でもその斬新
さに目を見張る。そして何より、広告料をもらわないで、商品のモニター
を行い、読者に洗濯機や掃除機やストーブなど商品についての知識を提供し続け、雑誌の革命児だった「暮しの手帖」は、75年経った今でも色褪せない。

この読書会の場所を提供してくださったのは、板宿の「井戸書店」
の3代目店主、森さん。〝感動伝達人〞としての書店を理念とされてい
て、街中から消えつつある古き良き時代の街の本屋さんとして、いろん
なイベントをされている。
ふらりと立ち寄って、心の底から感動する本に出会えそうな予感のする
本屋さん、私もここで、心に灯りがともった。
井戸書店
2023-11

漫画家生活60周年記念 青池保子展  Contrail   航跡のかがやき

昨年秋に開館30周年を迎えた小磯記念美術館で、初の漫画原画展が、今開催されています。
中学3年生でデビュー(「さよならナネット」)以来、独創的で美麗な世界を
築いてこられ、青池保子さんの画業60年を記念して企画されました。
今までの展覧会ではあまり出なかったモノクロ作品も含め、300点以
上が8部構成で展示され、ぐいぐいと青池ワールドに引き込まれていきま
す。特に、青池さんの肉筆での本音のようなかわいいコメントや、セリフを切
り貼りしてある物など制作過程がわかり、より興味深く見入ってしまいます。
でも、なんといっても圧巻は、例えば「魔弾の射手」の背景など、まる
でひとつの美術作品のような緻密な美しさです。また、それぞれの作品の、
衣装や風景、背景の格子窓のデザイン、纏っているビロードのマントのド
レープなど、細部の一つひとつに見とれてしまいました。
今回の展示では、それらの秘密を解き明かすかのような、物語の現地を
撮影された取材ファイルの展示もあって、きちんと綿密に調査された上での作画、ということもよくわかります。
毎号発売されるのを心待ちにして青池作品にどっぷりと浸り、背景や
ストーリーに陶酔した人にとっても、また、それほど馴染みのない人に
とっても、ぜひ鑑賞してほしい展覧会です。作品の下のキャプションに、
担当学芸員金井さんの、愛情たっぷりの優しいコメントがさりげなく書か
れているのも、お見逃しなく。
展覧会というのは、これをぜひ企画して展示したいという担当者の、作
家さんへのリスペクトに裏打ちされた熱意の賜物なのだと、今回もつくづ
く感じながら、蝉の鳴き声が降るような小磯記念美術館をあとにしました。
■会期 7 月15日〜9 月24日(日)月曜日休館
8/ 27、9/ 10、9/ 24(い
ずれも日曜日担当学芸員
による解説会)2023-8

トンカ書店 私の好きな森本さんの本屋さん

あまりにも突然の、悲しいお知らせでした。
私の「みちくさKOBE」(2022年2月発行)を、唯一販売してくださっている「花森書林」の森本恵さんが、5月28日に亡くなっていた、と弟さんの頓花慎太郎さんから聞いたのは6月の初めでした。43歳でした。
古書店の組合を代表して参加されていた森本さんと初めてお会いしたのは、数年前の「活字文化について考える会」で、元海文堂書店の島田誠さんたちとの対談でした。
2005年(平成17)年に開業した森本さんのお店「トンカ書店」は、分かりに
くいトアウエストの一角にひっそりとありましたが、その存在感ゆえに多くの〝
トンカファン〞が通っていた街の古本屋さんでした。
ビルの老朽化で致し方なく2018年12月に一旦閉められ、「花森書林」として再スタートされたのは、2019(平成31)年2月のことでした。元町商店街の北側の、かくれんぼするには良さそうな路地裏の「花森書林」は、前よりもさらに謙虚な佇まいで、ここに在ります。絵本、文学全集、漫画などに加え、愛らしい雑貨、メモ、シール、ブローチなどが所狭しと置かれてあります。
森本恵さんが他界されてからまだ2か月足らずですが、只今8 月21日(月)ま
で「トンカ書店× 花森書林-はじまりは2005年-」という企画展がお店の一画で開かれています。数年前からの闘病生活の中で、恵さんは弟慎太郎さんには、亡き後、私のことを思ってお店を続けなければ、とは思わないでほしい、慎ちゃんの人生なのだから、と言い遺されていたそうです。わずか4年間の姉弟の「花森書林」ではあったけれども、この居心地の良い空間で出会い、また、
支えられた多くの方々へのご恩返しがしたい、と今新たな決意で、前と変わるこ
とのない「花森書林」に立たれています。
古書店は店主が作るのではなく、お客さまが持ち込まれた物で作られている、と
いう恵さんの言われていた通りの〝ざっくばらんな本屋さん〞に、慎太郎さんの
流儀がどのように展開されるのか、楽しみにしているのは、わたしたちだけでな
く、古書店主として、姉として彼方より見守っている恵さんかもしれません。
■神戸市中央区元町通3 -16-4
※火曜日・水曜日定休
営業時間13: 00〜19:00
☎(078)333-4720

2023-7

ホタルと布引茶屋

こんな頃になると、もう、ホタルは現れたかなあ、と気になる。
布引の滝から、さらに奥へ、樹々の良い香りと木漏れ日を浴びながら心地の良い山道を進むと、紅葉の茶屋がある。ハイカーにとっては、喉を潤したい時も、不意に困り事が起きた時にもオアシス的な存在でもある。さらに、ここの悦子女将さんの、笑顔と絶妙なお話しの合間に魔法のように作ってくれるすき焼きが
名物で、遠来の大事なお客様をどうもてなしたら良いか、など頭を悩ます
時、〝最後の一手〞になる。
さて、その悦子女将さんから、「ここ数日カジカの鳴き声がきこえています。ふと、もしや…と思い庭に出てみますと、いました!今年初めての対面、ホタルが舞っていました。」とホタル便りがきました。悦子さんがひとりで、川の木々の合間に、ふうわり、ふうわりと心もとなげに飛んでいるホタルを、愛でられている様子が目に浮かび、この贅沢な桃源郷での暮らしの、美しい景色を垣間見た思いがした。
大学でほたるの育成に取り組んでいたり、大きなホテルでイベントとして放し飼いにしたりしたことが話題になっても、少しも心が動かない。
私が小さい頃の夏の夜は、青緑色の少しカビくさい蚊帳の中で、親子でお布団を並べて寝ていた。どこからか迷い込んできたホタル、気になりながらいつのまにか寝てしまっている。母の柔らかくてひんやり冷たい二の腕を触りながら……。
雨が降りそうな前日の夜更けに真っ暗なテラスで、密やかなホタルの明滅をひとりで眺めている悦子さんの姿は、私の初夏の夜の思い出まで呼び起こしてくれた。
2023-6

「イペ」の花が 咲きだしましたよ

鯉川筋沿いに、イペの花が咲きました。大丸北側スクランブル交差点、
モクレンとコブシの花が終わり、しばらくは花のない時期なのに、いつも
より早く開花したイペの鮮やかな黄色の花にカメラを向けている人がたく
さんいます。
イペはブラジルの国花で、2008年にブラジル移住100周年を記念して、鯉川筋に沿った7ヶ所に植樹されました。
1908(明治41)年「笠戸丸」の出港から1971(昭和46)年の「ぶら
じる丸」の最後の出港まで63年間、ブラジル移民船が神戸港から出ていました。鯉川筋の突き当たりにあった「神戸移住センター(現在は「海外移住と文化の交流センター」)から、鯉川筋を通り船に乗り込み新天地ブラジルに移住した人は
約25万人と言われています。その中でどれほどの人が再び故郷の地に戻っ
てこられたのか…。それを思うと、毎年この鮮やかな黄色のイペの木を眺
める度に心の奥が揺れ動きます。移民関連の施設として日本で唯一残って
いるのが「海外移住と文化の交流センター」です。
移民する人たちが希望と不安を抱いて最後に過ごした場所、ここから移
民坂を下り港まで、イペの木に誘われながら港まで歩いてみてください。

真珠会館がひと休み

旧居留地の南東の端に、「日本真珠会館」はあります。街歩きのガイ
ドの時に前までご案内しても、これが有名な真珠会館だと気がつく人はほ
とんどいません。外から見るだけでは、その良さが分かりにくいのかもし
れません。残念なことに、今年2023年の3月末で閉鎖されることになり
ました。真珠会館は、1952(昭和27)年に兵庫県などか中心になり、
検査や取引の拠点として建てられました。県営繕課の建築家、光安泰義氏
の設計でモダニズム建築として評価され、国の登録有形文化財にも認定さ
れています。
過日、内部の隅々まで最後の見納めをしてきました。昭和天皇が来られ
た時に乗られたという手動のエレベーターは、すでにありませんが、壁面
のスイッチもモダンな椅子も、天井の和洋折衷のデザインも71年間大事に
使われてきました。
私が一番感動したのは、自然採光で真珠の選定をするために、建物は、
六甲山の緑を通した光を取り込むための向きに建てられ、窓ガラスも光をその
まま取り込むために当時としても高価な素材にこだわっています。
黄金比率で計算されていて上りやすい階段、モダンなデザインの照明器
具、トイレのすりガラスの可愛さ、時代の先取りさながらの中庭、玄関
ポーチの緩やかなカープ、窓の面格子のほんのわずかのカーブなど、光安さんの小さな可愛らしい遊び心のデザインに、いつも胸がキュンとなります。
71年前に生まれた、単に神戸ではなく「日本真珠会館」。ただただ、じっと居留地の隅で佇んでいたのではなく、「真珠の街神戸」の顔として大事な建物でした。
今後の具体的な計画は決まっていないそうです。私は、この建物が積み
重ねてきた輝かしい記憶を心に刻みながら、なお語り継いでいきたいと
思っています。

2023-3

三宮神社 〜梅をもとめて〜

どこかに隠れていそうな小さな春の気配を、探してみたくなりました。
この季節ならば梅を見たい、と思ってお買い物や用事のついでに、ふらりと寄
ることができる「三宮神社」を訪れてみました。
紅梅がこれからどんどん咲いていこう、というよい感じで咲いていました。白
梅も出番を待っているところ、ロウバイもあって、車がどんどん行き交うこのよ
うな繁華街のまん中に、コンパクトに〝小さな春〞がありました。
三宮神社は、生田神社の裔神八社のうちの3柱目にあたる由緒ある神社なので、
昨今のブームで御朱印を授かりにくる若い人たちも増えています。
また、この地は、「神戸事件」の起きたところです。

1868(慶応4年)1月11日、現在の暦だと2月4日にあたる日、備前藩の隊
列約500人が、明治政府の命令により防備のため西宮へ向かう途上でした。午
後2時くらいに三宮神社辺りにさしかかった時、外国軍艦の水兵(フランス人かイギリス人)が隊列を横切ったことに端を発した事件です。
ちょうど神戸の開港の最中、居留地は造成中で、数ヵ国の外国人がいました。切
りつけられた外国人たちが黙っているわけはなく、あわや戦争という事態までい
きかけましたが、滝善三郎の切腹によりなんとか収まりました。
これより数年前にも、同様の「生麦事件」が横浜で起きましたが、こちらは薩
摩藩と戦争状態にまでなっています。
それに比べ、「神戸事件」は、備前藩第三砲兵隊長の滝善三郎ひとりに責任を押
し付けた形で終息に至りました。政治体制がまだ確立していなかった中、明治政
府として初めて関わった外交問題が「神戸事件」でした。
事件が起きたときは、旧暦では、まだ寒い頃でしたから、梅は固い蕾だったと
思われます。
「三宮」という地名の元にもなった「三宮神社」の歴史、不本意ながらだった
のか、あるいは、武士としての本懐だったのか、滝善三郎の気持ちを推し量りな
がら、しばし神社に足をとめてみてください。
2023-2