「生誕120年 川西英回顧展」12月23日まで 神戸市立小磯記念美術館

 

小磯記念美術館は、神戸で第2の人工島・六甲アイランドにあります。 洋画家・小磯良平が亡くなったのは1988(昭和63)年です。遺族から寄贈された2000点以上の作品・アトリエ(昭和24年築)・所蔵図書などを展示し、小磯良平画伯の画業を顕彰するための美術館が開館したのは、1992年です。
今回は、小磯記念美術館で開催される特別展「生誕120年 川西英回顧展」をご紹介したいと思います。
川西英は神戸市兵庫区で生まれ育ち、また生涯神戸の街並みや人々を描き続けた創作版画家。商家の後継ぎでしたから、油彩画は独学です。
戦前、戦後の「神戸百景」や「兵庫百景」など、神戸を離れることなく1200点もの作品を彫り続け、昭和40年に70歳で亡くなっています。 来年が、没後50年という節目の年になりますが、神戸の美術館・博物館で本格的な回顧展が行われるの、今回が初めてです。小磯良平は川西英より9歳年下ですが、ほぼ同時代に生きたと言えるでしょう。しかし2人の画家としての歩みは、ずいぶん違っています。 川西英生誕120年を記念して過去最大規模の展覧会が、この小磯記念美術館で開催されることは、不思議な縁だと思えてなりません。
小磯記念美術館
●(857)5880

2014-10-17

神戸文学館

1904(明治37)年に原田の森に建てられた関西学院のチャペルが、現在の「神戸文学館」。原田村に創立された関西学院は、昭和4年に西宮市上ヶ原に移転しチャペルはそのまま残されました。その後、「市民美術室」「市立王子図書館」「王子市民ギャラリー」などとして市民に親しまれてきました。神戸大空襲や阪神・淡路大震災も乗り越えた゛市内に現存する最古のレンガ造りの教会建築物゛です。
さて、神戸文学館は、2006(H18)年12月4日に開設。近代に活躍した神戸ゆかりの小説家・詩人・文学者の原稿や縁の愛用品が展示されています。
今回の企画展は、「久坂葉子がいた神戸」です。久坂葉子(本名・川崎澄子)は、1931(昭和6)年神戸に生まれました。曾祖父は川崎重工の前身川崎造船所の創業者です。幼いころから、父親の影響でピアノ、絵画、俳句などに親しんでいました。17歳頃から詩作を始め、18歳で雑誌「VIKING」に参加し同人となります。19歳で同誌に掲載した作品が芥川賞候補になります。昭和27年12月31日に阪急六甲駅で、三宮発の特急電車に飛び込んで21歳の短い生涯を終えました。1983年に「久坂葉子展」がジュンク堂で行われて以来、文学館では初めての展覧会になります。
男爵家という名家に生まれ、昭和初期の香り高く、輝かしく、懐かしい時代を、悩みながらも駆け抜けていった久坂葉子という一人の短くも、懍とした生き様に触れてみてください。

2014-9-19

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百耕資料館

 

神戸市内には、大小さまざまな、特色ある美術館や資料館があります。それらの中でも、今回は、特に知る人ぞ知るの資料館をご紹介したいと思います。
須磨区板宿(いたやど)にある「百耕資料館」は、昭和62年にできました。板宿地区の旧家・武井家が所蔵する歴史資料(旧摂津国八部郡板宿村関係文書)や美術資料が、展示されています。1845年に生まれ、兵庫県会議員、八部郡長、有馬郡長として地方行政にあたる一方、多くの文人墨客と交流のあった武井伊右衛門(たけいいえもん)の雅号゛百耕゛が館の名称になっています。
私が最初にこの資料館を訪れたのは、五年くらい前のことでした。その時は、年に二回ある企画展の時で、粉本の展示をされていました。粉本というのは、筆の勢いなどを学ぶための習作で、後々のために模写された下絵のことです。
武井も絵を習っていたこともあり、他にあまり例のない粉本は二千点を超える一大コレクションです。私が見た展覧会では、円山応挙、池大雅、与謝蕪村などの粉本があり、中には、本物の作品はなく、今や粉本しか残っていないものもあるそうで、絵画史の研究資料としても貴重なものになっているそうです。今秋の企画展では、粉本コレクション展が予定されているようです。
また、さらに驚くのは、武井家の広い邸内は魁春園(梅園)・秋錦園(菊園)を一般に開放していたとのこと、まさしく、現在のテーマパークの魁ともいえます。
平成22年にリニューアルされた館内は、原始~近現代までの板宿地区の歴史が、解説パネルと、12000点に及ぶ古文書などでわかりやすくの展示されています。
「百耕資料館」は、賑やかな板宿商店街を通り抜け、妙法寺川に沿って北側に歩いて行くと、住宅街の中にあります。 時間が止まったかのような空間の資料館を出て、梅や菊のころにはさぞやにぎやかだったであろう…とおもわれる庭を抜けて帰路につきました。
小さな印象深い資料館でした。
開館時間:10時~16時
休館日:常設展/月・火・水曜日
●(733)2381

ラジオ体操の話

 

「第53回1000万人 ラジオ体操・みんなの体操祭」が8月3日(日)に、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場で開かれます。
昭和37年から、全国各地で毎年1回開催されていてる、ラジオ体操関連では最大のイベントです。また、近畿ブロックでの開催は、初めて神戸で開催されることになりました。
ラジオ体操の歴史を調べてみると、アメリカの生命保険会社で、ラジオ放送による健康体操が行われたのは大正12年。日本国民の健康増進の事業として見習うため、視察し体操の開発が提唱されたのは、その2年後。昭和3年には、東京中央放送局から、朝7時にラジオ体操の放送が開始されています。昭和5年、東京でラジオ体操の会(子どもの早起き大会)が始まり、その後全国に広まっていくことになります。現在の「ラジオ体操第一)が制定されたのは、昭和26年です。
私が小学生のころは、早起きラジオ体操の会は盛んで、まだまだ寝ていたいのを無理やり起こされ、朦朧としてラジオ体操に参加していたのを、鮮明に覚えています。
さて「みんなの体操祭」全国各地からバスを仕立てて、毎回参加する人もたくさんいるとのことです。
ー国民すべてが行うべき運動として「老若男女を問わず」「誰にでも平易にできる」「内でも外でもいかなる場所でもできる」提唱されました。揺るぎのない理念に基づいて作られたラジオ体操に驚きました。
子どものころを思いだして、眠い目をこすりながら、みんなでラジオ体操してみませんか!

2014-7-16

香雪美術館

東灘区にある「香雪美術館」は、朝日新聞社の創業者・村山龍平(むらやまりょうへい)が収集した古美術品などを収蔵する美術館として、1973(昭和48)年に開館しました。
香雪というのは、村山龍平の号です。
1850年、現在の三重県に生まれ、21歳で大阪に移り住み29歳で「時代を啓蒙する仕事がしたい」と、朝日新聞を創刊しました。
もともと美術に関心があったこともあり、開国後、多くの価値ある美術品がどんどん海外流れていくのを目の当たりにして、それを食い止めたいと思いました。
そこで自ら、刀剣や仏画など日本・東洋の古美術品の名品を集めることに力を注ぎました。
昭和8年に亡くなった村山の没後40年に、香雪美術館は開館しています。
館蔵品は毎年春と秋に「コレクション展」として公開されています。
現在、江戸時代の絵師・円山応挙とその弟子の作品を集めた「応挙と円山四条派」が開かれています。
応挙は、京都の亀岡の農家の次男として生まれました
動植物を細かく観察して、ありのままを描く「写生」を大事にしました。
それまでは、皇族や武士という一部の階級の人たちだけのものだった美術品を、江戸時代の富裕な商人たちにも受け入れられ、生活の中に絵画が取り入れられるようになったのは、応挙以降のことです。
今回は、応挙が特に得意としたクジャクとコイの作品を中心に展示されています。
二階に展示されている鮮やかな孔雀は、生きているかのようで、目を凝らしてみると、一本づつの羽や毛のリアルさに驚きます。
また、私が一番気になったのは、長い棒に描かれた「啄木鳥図」でした。
クセがなく、誰からも好かれ、教えるのがうまいのでたくさんの弟子を育てた応挙の、遊び心をみてとれる作品だと思いました。
香雪美術館で、自分流の時間を過ごしてみてくださいね。
応挙の作品は、自分の部屋の設え品ーなどと空想しながら…。
庭の緑鮮やかな苔も…。

「陳舜臣アジア文藝館」

中国歴史小説家で、1969(昭和44)年に「青玉獅子香炉」で第60回直木賞を受賞した陳舜臣さんのゆかりの品々を展示する「陳舜臣アジア文藝館」がプレオープンしました。
ここには、著作や歴史関係の蔵書、自筆の原稿など1000点以上があり、手に取って読むこともできます。
丹波市にある陳さんの別荘で使われていた愛用の机や筆記用具を書斎風に設えて、シルクロードの紀行文「敦煌の旅」の自筆原稿を展示している部屋もあります。
文藝館は、間近に神戸港が見える、旧神戸税関メリケン波止場庁舎のビルにあります。
祖父の代に台湾から神戸に移住してきた貿易商家に生まれ、幼少期に、この付近に住み遊び場だったという陳さんにとって、ここは、まさしく原点のような場所です。
著作や原稿、資料などが散逸しないように、という思いと共に、留学生などアジアの若者たちの交流の拠点となり、ここから新しい文化の風をおこすことができれば、というのが陳さんや、またこの文藝館の設立に奔走した人々の願いでもあります。
今秋の正式開館までは月、水、土曜の正午~17時まで。大人300円、大学・高校生200円
中央区新港町12-1
●(391)0224

白鶴美術館

白鶴美術館に行ったことありますか?。
ここには、「白鶴酒造」7代目嘉納治兵衛が収集した、古代中国の青銅器や陶磁器、鎌倉時代から江戸時代の水墨画、屏風など、

国宝や重要文化財を含む、約1450点の美術品が収蔵されています。
1934(昭和9)年に開館した当時、私設美術館は珍しく、全国で3番目だったそうです。
外見は鉄筋で、いかにも重厚な雰囲気の建物ですが、中に一歩足を踏み入れると、檜や欅、桑など木がふんだんに使われていて、まるで和風の宮殿のような雰囲気です。奈良の名家に生まれ、幼い時から優れた美術品囲まれて育った治兵衛が収集した美術品は、建設された時のまま自然光のもと鑑賞できます。
今年は開館80周年を迎え、6月8日まで記念展が開催されています。治兵衛は、自分の収集品を私蔵するのではなく、保存し、また広く社会に公開したいと願いました。 本館からは、神戸の市街地のみならず、大阪湾まで一望に見渡せるビューポイントです。休日の1日、喧騒から逃れ白鶴美術館を訪れてみてください。美術品を見たあと、滝の音を聞きながらお庭でのんびり過ごすのも贅沢な時間です。

2014-4-25

日本真珠会館

 

中央区にある旧外国人居留地、東南の端に、「日本真珠会館」という美しい響きの名前のビルがあります。
国際的な真珠の取引の中心だった神戸に、日本の真珠産業の拠点として、その核となるべき゛美の殿堂゛をということで、昭和27年に竣工された建物です。以来、阪神・淡路大震災も乗り越え62年間、現在も真珠の入札が行われています。
もう10年近く前に、神戸市が主催した《建築ウォーク》のセミナーに参加して以来、すっかりこの建物の虜になってしまいました。
セミナーの時に聞いた中でも、とりわけ印象に残っているのは、真珠にやさしい光を取り入れるために、木々の緑の反射を避けて、あえて東遊園地から少し南へずれた場所に建てた、というお話でした。また、窓ガラスやブランド、証明器具など全て真珠に配慮したデザインが、今でも通用するほどモダンなことや、さらに、四階の真珠交換室は、当初、本来の目的以外に音楽室にも使えるように、残響効果も考慮された設計がなされていた、ということにも驚きました。
昭和天皇が、昭和29年来神の際に乗られたという、その当時としては最新型の日立製の全自動式昇降機(エレベーター)は、現在はすでに新しい機械に代わっています。《モダニズム建築の名作》といわれたこの建物は、外側から眺めても、細部の意匠にに気がつくことなく、ほとんどの人に見逃されてしまいます。窓側に僅かに傾いた面格子、エントランスの石段のゆるやかなカーブなど、設計者、光安義光さんの、目立たない、遊び心のあるやさしいデザインは、真珠会館に会いに行く時の、密やかな楽しみの一つです。
帰りは、一階の北側に新しくできた「KOBEPEARL SOUQ」(市場)で神戸ならではの真珠を探してみてください。
2014-3-21

レストランは重要文化財

三宮から歩いてすぐ南側に、旧外国人居留地はあります。

 

 

神戸港が世界に開かれて以来1899(明治32)年まで、外国人の自治が行われていた区域でした。洋服や洋食、スポーツなどの発祥の地として、エキゾチックな神戸の”みなもと”といえます。

その中に、唯一残る当時の建物が「旧神戸居留地十五番館」です。126区画あった敷地の中の十五番地にあったので、こう呼ばれています。

1966(昭和41)年に建材メーカーの会社「ノザワ」がこの建物を買い取り、本社の社屋として使われていました。

1880年頃に建てられ、当時はアメリカ領事館として使われていたこともありました。

1989(平成元)年には、国の重要文化財に指定されています。

しかし、19年前の大震災で建物は倒壊、3年3ヶ月後に再び当時の姿に蘇っています。

重要文化財では初めて建物を丸ごと使って、レストランとして使うことが許されたケースです。現在はテナントとして、「TOOTH TOOTH maison15」が営業を行っています。

跡形もなくペシャンコになってしまった建物の部材の7割を使って、重文指定を継続するには、並々ならぬ思いがあったようです。

レプリカではなく、当時の本物の建物で、神戸ならではの贅沢な時間を味わってみてください。

高い天井や暖炉、飾り棚も十五番館のご馳走の一つです。

 

2014-2-21

 

 

神戸空港 誕生から8年

構想から23年余りを経て、全国でも珍しい市営の「神戸空港」〈マリンエア〉が開港したのは、2006年2月16日です。「山、海へ行く」と世界的に話題になったポートアイランドの完成とそれを記念して開かれた「ポートピア81」の博覧会で賑わった港島の、さらに沖に空港島はあります。

ポートライナーの三宮駅から、2つ駅を通過する快速に乗れば16分半で神戸空港駅に、改札を出ればわずか100歩で飛行機の見える待合室に着きます。この動線の短さ、便利さが神戸空港の魅力です。
三階建て(一部四階建て)の旅客ターミナルビルの、屋上展望デッキに上がってみましょう。ここには、神戸港から約25万人を送り出したブラジル移民の歴史にちなんで、ブラジルの国花「イベ」の木が使われています。デッキの施工を請け負った井上さん(兵庫区)とサンパウロの材木商中井さん(神戸出身でブラジル移住)が、何度も飛行機を乗り継ぎジャングルを飛び回り確保してくれたイベの材木でした。現在では、堅牢で虫のつきにくいイベの木はブラジルでも少なくなっているようです。

屋上からは、飛行機の離発着の様子はもちろん、六甲山の山並み、明石海峡、紀淡海峡とぐるり360度見渡すことができます。
心地よい響きのするイベの木のデッキを歩き、遠い異国の地に人生の夢をかけて旅立った多くの人たちにも、思いを馳せてみてください。

2014-1-24