思い出の扉が開く時

昨年の末頃、突然、NHKのBSの番組「新日本 風土記」の制作スタッフの方々が相談に来られた。
「神戸 元町」をテーマの番組を制作したいと思っている、ということで、様々な質問やお問い合わせを受けることになった。そもそも元町というのはどこまでなのか、横浜と違う雰囲気なのは何故なのか、どこかに亡命ロシア人などの末裔の人はいないか、元町あたりに、かつて盛えていた外人バーのようなお店はないか等など。
私が神戸市の案内所にお勤めし始めたのは、1979(昭和54)年で、クイーンエリザベス号など豪華客船も次々と入港していたので、とにかく英語は不可欠で、否応なしに、当時はまだ元町駅北側にあったパルモア学院という英語学校に通っていた。その時の友だちが、21時に授業が終わってから外人バーに行こう、と誘ってきた。とんでもないこと、喫茶店ですらまともに一人で入れなかった私、そんな恐ろしげな外人バーなどに行けるか、と坂道を転げるように逃げ帰った。
やがて新聞社の方々から、あるいは周りのいろんな人たちとあちこちのバーに連れて行ってもらうが、相変わらず飲めないままではあるが、雰囲気を楽しめるようにまで成長した。
切り絵作家、成田一徹さんにもあちこち連れていってもらった、贅沢な思い出。
「KOBE HIGH BALL」で出されていた新開地、豆福
さんのカレー豆をポリポリと齧りながら、ああ、こんなことなら、危なげな外人バーにも、行っておけばよかったかなあ、と今ごろ後悔している。そしたら、NHKの番組の人たちにも、したり顔で外人バーを語ることができただろうに

「酒場の絵本」(198211月発行 田中正樹 成田一徹)をめくりながら‥。

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