「神戸史話」から ~”黒い死”ペスト~

世界中でコロナと闘っているような毎日。
「神戸市総合インフォメーションセンター」もついに臨時休館になり、粛々と資料整理はしながら半分は在宅勤務の指令です。
テレビ体操で身体を整え、暫く目の行き届かなかった庭の片隅で、ひっそりと咲いていたシランやクジャク草やラベンダーに感動しています。そして、普段読めなかった本と向き合っています。
4月1日に亡くなられた、文芸評論家であり、郷土の作家の発掘にも尽力された宮崎修二朗さんから頂いた「神戸史話」の中から、今の状況と合わせて興味深く引き込まれた「”黒い死”ペスト」の章を抜き書きしたいと思います。

一ネズミを見たらペストと思え一。
明治三十二年十一月、神戸市民はネズミを目のかたきにし  て追いかけた。ネズミはおそるべきペスト禍をまき散らす凶悪犯だった。
その年十一月八日夜、市内葺合区浜辺通五丁目、網干屋藤井重三郎所有の米倉で働いていた店員、山本幸一(十三歳)が、突然高熱を発し二日後、衰弱して死んだ。つづいて同区内の五人が急死。いずれも症状は同じだ。しかし、それがペストと呼ばれる恐ろしい伝染病によるものとは、だれも気がつかなかった。
山本少年の死体解剖で、真性ペストとわかってから、神戸市民は”黒い恐怖”にちぢみ上がった。県知事は十一月十七日、県報号外で予防を告示。神戸港和田岬の海港検疫所で出入船舶の検疫を強化、乗降客の臨時検疫を行なった。汽車の乗客にたいしても三ノ宮、神戸、兵庫の各停車場に防疫班を出張させて検疫。
……
犠牲者とひろがった。葺合区を中心に、……元町、栄町など十一月中の患者二十二人。うち九人が死に、新聞は連日「黒死病」を報じた。
皮肉なものである。日本最大の貿易港にのし上がり、流行の窓口だった神戸が日本で初めてペストの侵入を許した。コレラは明治十年以来、幾たびかの大流行を体験ずみである。だから、前年コロンボ、シンガポールなどにペストの流行を伝えられたときから。水ぎわ作戦に徹底を期した。同年五月、米船ペルー号が神戸へ入港、船内でペストが発見されると、完璧な足どめ作戦で”撃退”に成功してひと息ついた矢先だった。
……
神戸全市に非常事態宣言が発せられ?「ネズミ一匹五銭で買い上げます」のようなビラ五万枚が配られた。同時に、菌が足につくというので”はだし禁止令”が出され、古タビを集めて半強制的にはかせられた。
……
そうしているうちにも、ペストは大阪阿部野橋へひろがり、十二月には岐阜、沼津と東斬。

カミュの「ペスト」よりも、はるかに真実味のある正確な歴史の記録です。
「神戸史話」編集 落合重信 有井基
昭和四十二年発行

ペスト騒動のその後、昭和四十二年には内務省から”飼いネコ奨励”の通達が書く府県に出されています。
これは、120年ほど前、日本で最初にペストが上陸した神戸での様子です。慌てた当局の対策がネズミ退治で”ネズミ成金”も出た、というまさしく悲喜劇が、つぶさに記されていました。
カミュの「ペスト」(1947年発表、ペストが蔓延して閉鎖された都市の人間模様が描かれている)とあわせて読んでみると一層興味深いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です