幻の徳川道1


徳川道は、石屋川~摩耶山裏~藍那~白川~大蔵谷までの約32キロ(約8里)の道のことで、「西国往還付替道」が正式名称です。
幕末、開港した神戸に在住する外国人と日本人との衝突を避けるために、外国人と接触しないように作った迂回路でした。
総予算額3万6千両(現在の貨幣に換算すると36億2000万円)の大工事で、工事を請け負ったのは兵庫石井村の庄屋・谷勘兵衛さんで、沿道各村合わせて25ヵ村が協力してこの大工事にあたりました。
工事期間は約2ヶ月で、この大きなプロジェクトは予定どおりに兵庫開港日の12月7日くらいには竣工していますから、驚きの突貫工事でした。
外国人との接触トラブルが、日本の植民地化への導火線となることを恐れて急きょ着手した道でしたが、工事が完成した直後に徳川幕府は崩壊し、明治政府が成立しました。
本来の目的の、大名行列がこの徳川道を通ることは一度もありませんでした。
しかし、皮肉なことに、1868年1月、新政府の命令で西宮の警備に向かっていた備前(岡山)藩の部隊は、この道を通らないで 従来の西国街道をを行軍し、居留地に近い三宮神社の前で外国人と接触し、神戸が一時外国人に占拠される、という事件になりました。(神戸事件)滝善三郎が切腹することで落着しましたが、開港にあたり最も恐れていたことが、結局は莫大な出費で普請された徳川道が使われないままに起きてしまった、ということが「幻の道 徳川道」といわれている所以です。
六甲山上の穂高湖からは、歩きやすい気持ちのよい道ですから、150年前に思いを遡り歩いてみてください。

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