阪急六甲駅を降りてすぐ北側に、神戸学生青年センターがあります。
古本市や集会、セミナーなどが行われている施設で、1972年に開館しました。
ここで、今年の4月から月に一回「六甲山専門学校」が開校しました。
といっても堅苦しい学校ではなくて、気軽に参加ができる楽しい講座です。
「もっと六甲山を知って欲しい。そしてもっと六甲山を楽しんで欲しい」という熱い思いで3人の六甲山が大好きな人たちが立ち上げた学校です。
長年、六甲山関連の貴重な絵はがきや資料を収集されている前田さん、2009年から灘区でアウトドア用品の「白馬堂ROKKO」を経営されていて「六甲摩耶」の地図の著者である浅野さんと、経験に基づいた生きた知識で、六甲山のガイドブックや自然観察本を数多く出版されているフリーライターの根岸さんが先生役です。
約20人くらいで、缶ビールやおつまみを食べながらの授業風景です。本やインターネツトでは得られない情報が、和気相合とした寺子屋のような雰囲気の中で学びとれる授業になっています。
参加者は、神戸だけでなく大阪や明石など近隣からも参加しています。
六甲山が好きな人たちによる講座に身を置いていると、六甲山がさらに好きになってきました。
参加費は一回1000円です。7月の講座はすでに定員に達していますが申し込みや問い合わせは白馬堂まで。
火、水曜休。
☎(841)89862016-6-22
沖縄の島守 島田叡(あきら)氏のこと
島田叡(あきら)
須磨区出身、
西須磨小学校、
兵庫高校卒
一島田叡氏顕彰碑 除幕式に参加して一
神戸で生まれ、神戸で育った島田叡。第二次世界大戦末期、国の命令で沖縄に赴いた最後の知事です。
島田が内示を受けたのは昭和20年1月、その3ヶ月前に那覇市は空襲でほとんどの家屋が焼きつくされていましたから、当地へ赴くことは死にに行くようなもので、家族の反対を押しきり、単身での赴任でした。
米軍上陸の目前に、飢える県民のために台湾米を確保に奔走したり、疎開に尽力したりと住民と苦難を共にし、米軍の砲撃の下県職員らと壕を転々と敗走しました。
6月、後方に大平洋が広がる激戦地、糸満市の摩文仁のあたりまで追い詰められて消息を絶ちました。
島田の没後70年を前に、2013年から協力を呼び掛けられて、三万人以上の署名と一千万円近くの寄付が集まり、「顕彰碑」が建立されました。
6月26日気温31度の南国の夏空の下、那覇市奥武山公園(おうのやまこうえん)で、井戸敏三兵庫県知事と翁長雄志沖縄県知事、久元神戸市長、また島田の出身校旧制神戸二中(現県立兵庫高校)の関係者ら約400人が出席して除幕式が執り行われました。
那覇高等学校合唱部(女声)による献奏が流れてくると、ぬけるような青い空とは裏腹の、美しく物悲しい旋律に思わず涙が溢れてきました。
この日は、島田叡が僅か五ヶ月足らず、沖縄最後の官選知事として赴き、もはやこれまで、と自決したといわれている日です。
4年前より兵庫県教育委員会から中学生に配布している道徳の副読本「心かがやく」では「戦場の県知事島田叡さん(陳舜臣氏執筆)」を掲載。中学生がいる家族の人はぜひ一緒に読んでみてください。市内各図書館でも閲覧できます。
2015-7-17
牧野富太郎のこと
六甲山頂(931m)にほど近く、海抜865mのところに「六甲高山植物園」はあります。年平均気温は9℃、真夏でも早朝は25℃位という涼しさです。
高山植物を中心に、合歓の木やササユリといった六甲山の自生植物、約1500種が展示栽培されています。中央アルプスなど、高い山に登らないと出会えないような植物を、間近で見ることができる貴重な場所です。 同植物園は昭和昭8年に開園。今年で、80周年を迎えます。”日本の植物学の父゛といわれる牧野富太郎博士の指導の下、設計しました。
ここで少し、牧野富太郎のことにふれてみましょう。今年、生誕150年になる牧野は、高知県の裕福な商家に生まれました。が、調査研究に惜しみなく財産を注ぎ込み、結果的に多額の借金で困窮を極めることに。その時、手を差し伸べたのが、神戸の素封家で、南蛮美術の収集家としても有名な池長孟です。大正5年、会下山(兵庫区)に、牧野の標本を収蔵する「池長植物研究所」が出来ました。現在は、研究所跡の碑と、牧野が投宿していた「会下山館」の門柱だけが残っています。 牧野は、また、昭和天皇の標本を最初に鑑定した人でもあります。
私が今でも記憶に残っているのは、昭和56年ポートビア博覧会の時に、昭和天皇が六甲高山植物園を訪れられたこと。彼とゆかり深い植物園だから足を運ばれたのかどうか…、知る由もありません。 これからの同園はヤマユリ、キレンゲショウマ(石鎚山などに群生)などが見頃になります。涼しい植物園で、お花の大好きなスタッフのガイドを聞きながら、また、牧野富太郎という植物学者が、大正、昭和と残した神戸での足跡にも、思いを寄せてみてください。彼の学問の集大成「牧野日本植物圖鑑」を持って…。