沖縄の島守 島田叡(あきら)氏のこと

島田叡(あきら)

須磨区出身、

西須磨小学校、

兵庫高校卒

 

 

一島田叡氏顕彰碑 除幕式に参加して一
神戸で生まれ、神戸で育った島田叡。第二次世界大戦末期、国の命令で沖縄に赴いた最後の知事です。
島田が内示を受けたのは昭和20年1月、その3ヶ月前に那覇市は空襲でほとんどの家屋が焼きつくされていましたから、当地へ赴くことは死にに行くようなもので、家族の反対を押しきり、単身での赴任でした。
米軍上陸の目前に、飢える県民のために台湾米を確保に奔走したり、疎開に尽力したりと住民と苦難を共にし、米軍の砲撃の下県職員らと壕を転々と敗走しました。
6月、後方に大平洋が広がる激戦地、糸満市の摩文仁のあたりまで追い詰められて消息を絶ちました。
島田の没後70年を前に、2013年から協力を呼び掛けられて、三万人以上の署名と一千万円近くの寄付が集まり、「顕彰碑」が建立されました。
6月26日気温31度の南国の夏空の下、那覇市奥武山公園(おうのやまこうえん)で、井戸敏三兵庫県知事と翁長雄志沖縄県知事、久元神戸市長、また島田の出身校旧制神戸二中(現県立兵庫高校)の関係者ら約400人が出席して除幕式が執り行われました。
那覇高等学校合唱部(女声)による献奏が流れてくると、ぬけるような青い空とは裏腹の、美しく物悲しい旋律に思わず涙が溢れてきました。
この日は、島田叡が僅か五ヶ月足らず、沖縄最後の官選知事として赴き、もはやこれまで、と自決したといわれている日です。

4年前より兵庫県教育委員会から中学生に配布している道徳の副読本「心かがやく」では「戦場の県知事島田叡さん(陳舜臣氏執筆)」を掲載。中学生がいる家族の人はぜひ一緒に読んでみてください。市内各図書館でも閲覧できます。

2015-7-17

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