どこかに隠れていそうな小さな春の気配を、探してみたくなりました。
この季節ならば梅を見たい、と思ってお買い物や用事のついでに、ふらりと寄ることができる「三宮神社」を訪れてみました。
咲いていました。紅梅がこれからどんどん咲いていこう、というよい感じです。白梅もこれから出番を待っているところ、ロウバイもあって、車がどんどん行き交うこのような繁華街のまん中に、コンパクトに”小さな春”がありました。
三宮神社は、生田神社の裔神八社のうちの3柱目にあたる由緒ある神社ですので、昨今のブームで御朱印を授かりにくる若い人たちも増えています。
また、この地は、「神戸事件」の起きたところです。
1868(慶応4年)1月11日、現在の暦だと2月4日にあたる日、備前藩の隊列約5000人が、明治政府の命令により防備のため西宮へ向かう途上でした。午後2時くらいに三宮辺りにさしかかった時、外国軍艦の水兵(フランス人かイギリス人)が横切ろうとしたことに端を発した事件です。
ちょうど神戸の開港の最中、居留地は造成中で、数ヵ国の外国人がいました。切りつけられた外国人たちが黙っているわけはなく、あわや戦争という事態までいきかけましたが、滝善三郎の切腹によりなんとか収まりました。
これより数年前にも、同様の「生麦事件」が横浜で起きましたが、こちらは薩摩藩と戦争状態までになっています。
それに比べ、「神戸事件」は、備前藩第三砲兵隊長の滝善三郎ひとりに責任を押し付けた形で終息に至りました。政治体制がまだ確立していなかった中、明治政府としての初めて関わった外交問題が「神戸事件」でした。
事件が起きたときは、旧暦では、まだまだ寒い頃でしたから、梅はまだまだ固い蕾だったと思われます。
「三宮」という地名の元にもなった「三宮神社」の歴史、
不本意ながらだったのか、あるいは、武士としての本懐だったのか、滝善三郎の気持ちを推し量りながら、しばし神社に足をとめてみてください。