兵庫津(ひょうごのつ)は、古代から明治まで国内外の交易の要衝でした。平安時代には「大輪田泊」(おおわだのとまりと呼ばれ)平清盛が修築し、また江戸時代には北前船などの瀬戸内海運の拠点となり栄えた港でした。
この辺りが、江戸時代後期に幕府領になった後、兵庫津を管轄するために、海岸に近い南部の地域を北濱、南濱、内陸部を岡方と三分割しました。
岡方はこの三方の内でも、西国街道に接する海運、陸運の結節点として栄えました。
「岡方倶楽部」は、海陸の要として繁栄を極めた岡方総会所の跡地に、兵庫商人の社交場として昭和2年に建設されました。
鉄筋コンクリート三階建てで、大正時代に流行したモダンな様式で、タイルと石を張りめぐらせた外観や正面玄関のアーチ装飾などは、古びてはいますが今でも魅力的で、91年前ならさぞや話題になった事だと思います。
この岡方倶楽部の建物は、大正13年に新川運河に架けられた「おほわだばし」と共に、太平洋戦争の戦災にも、阪神・淡路大震災にも耐えて生き残った貴重な遺産と言えます。