「神戸ポートタワー」のこと

 

 

長い旅から帰ってきて「やっと神戸に帰ってきた」と感じるのは、どんな時ですか?
数年前のこと、一週間の海外旅行から戻ってきた時、明石海峡大橋を通過し関空に向かう飛行機の窓から、ポートタワーのあの赤い色が見えた瞬間の、ちょっとした感動はいまだに鮮明です。  ポートタワーは、1963(昭和38)年11月21日に誕生しました。ちょうど50歳です。世界初のパイプ構造の観光タワーですが、日本で初めてライトアップされた建造物でもあります。まっすぐの鉄パイプを組み合わせて作られているのに、まるでウエストがくびれているような、鼓形の美しく優雅な姿は、《鉄塔の美女》と呼ばれています。 ポートタワーの中に入ってみましょう。展望5階からの景色は、大阪から関西国際空港、淡路島、六甲山の山並みまで見えます。ポートタワーができて3年後の1966(昭和41)年に、市街地と港を分断する阪神高速3号神戸線の一部が開通していますが、そこを走っている車も、まるでミニチュアカーのように見えます。
11月20日~24日まで様々な記念イベントが行われています。
じつは、最初の計画ではシルバー一色でしたが、曇り空の日などは見えにくいなど、色んな理由で、山の緑、空と海の青に鮮やかに映える赤になったということです。 東京スカイツリーや通天閣、京都タワーなどと比べてもみても、天をつくような鋭さや派手さはありませんが、優しい表情の゛神戸のシンボル゛・「神戸ポートタワー」に会いに行ってみませんか。

 

2013-11-22

神戸すま張り子館

 

私が、張り子作家の吉岡武徳さんと出会ったのは、18年前のことです。まるで、民話の世界から抜け出てきた゛仙人゛のような印象の人で、たちまちその人柄に惹きつけられました。
その、吉岡さんの工房と展示を兼ねたアトリエが「神戸すま張り子館」です。元町の山手、再度山の麓に、1994年に開かれたこの工房には、大小数千点の張り子がぎっしりと並んでいます。
中学の理科の先生をしていた吉岡さんが、郷土玩具の張り子と出会い、そのほのぼのした温かさに魅了されたのは、42歳の時でした。夏休みなどを利用してあちこちの作家を訪ね、技術を伝授してもらおうとしますが、そう簡単には教えてもらえません。職人さんたちの技を見覚え、自分なりに工夫して、独学で技術を重ねていきます。本格的に張り子に取り組んだのは、退職してからです。
何回もの工程を経てようやく出来上がる張り子、小さな作品でも1ヶ月、大きな物だと数ヶ月はかかるそうです。
かつては、城下町では大抵張り子が作られていましたが、今では、張り子職人さんも減ってきているようです。
ー吉岡さんにとっての張り子の魅力は?とたずねたら、紙の温かさに触れ、とにかく楽しい、とこたえてくださいました。
もともと神戸にはなかった張り子、吉岡さん独自の創作張り子を、もっとたくさんの人に手にとって見てほしいと思います。
神戸すま張り子館 中央区再度谷48 電話・FAX 362 ~1826
(事前に連絡を)

2013-10-18

神戸ワインの話

昭和59年10月に開園した神戸市立農業公園。

まだそれほど遊びが多様化していない時代に、ワインと観光が結びついたテーマパークのような目新しさが時代に受け入れられたのか、

平成3年には62万人ものひとが訪れました。しかし、次第に入園者が減ったこともあり、入園料と駐車場を無料にして、

平成18年には、ワイン造りに特化するために、「神戸ワイナリー」と名称も変えました。

地産地消の魁ともいえる「神戸ワイン」ってどんなワインってどんなワインかご存知ですか。神戸の生産者により、

神戸の土地で育てられた〈欧州系〉のぶどうを原料にし、神戸の醸造所(農業公園)で造られたのが「神戸ワイン」です。

何やら有名な演説のようですが、どこからみても”神戸っ子”のワインです。
農業公園は、西区のほぼ中央に位置し、日当たりと水はけが良く、ワインに適したぶどうを育てるには良い場所。

赤・白用あわせて五種類のぶどうの木を約60戸の契約農家が栽培しています。

昭和46年、当時の宮崎市長から、岩岡の観光ぶどう園の生産者との語る会で、神戸ワインを造ってみてはとの提案から、すでに42年が過ぎました。

全く混ざりもののない”100%神戸産”のワインを造る-という信念には、いまだにゆるぎはありません。収穫は開園までに、職員やボランティアなど

総出で手作業で行われ、今年は約330万tのぶどうから30万本のワインができます。一言でいうならば「花のようにやさしい神戸ワイン」は、

神戸の風土と見守っている人により、大切に育まれています。

2013-9-20

 

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牧野富太郎のこと

六甲山頂(931m)にほど近く、海抜865mのところに「六甲高山植物園」はあります。年平均気温は9℃、真夏でも早朝は25℃位という涼しさです。
高山植物を中心に、合歓の木やササユリといった六甲山の自生植物、約1500種が展示栽培されています。中央アルプスなど、高い山に登らないと出会えないような植物を、間近で見ることができる貴重な場所です。 同植物園は昭和昭8年に開園。今年で、80周年を迎えます。”日本の植物学の父゛といわれる牧野富太郎博士の指導の下、設計しました。
ここで少し、牧野富太郎のことにふれてみましょう。今年、生誕150年になる牧野は、高知県の裕福な商家に生まれました。が、調査研究に惜しみなく財産を注ぎ込み、結果的に多額の借金で困窮を極めることに。その時、手を差し伸べたのが、神戸の素封家で、南蛮美術の収集家としても有名な池長孟です。大正5年、会下山(兵庫区)に、牧野の標本を収蔵する「池長植物研究所」が出来ました。現在は、研究所跡の碑と、牧野が投宿していた「会下山館」の門柱だけが残っています。 牧野は、また、昭和天皇の標本を最初に鑑定した人でもあります。

私が今でも記憶に残っているのは、昭和56年ポートビア博覧会の時に、昭和天皇が六甲高山植物園を訪れられたこと。彼とゆかり深い植物園だから足を運ばれたのかどうか…、知る由もありません。 これからの同園はヤマユリ、キレンゲショウマ(石鎚山などに群生)などが見頃になります。涼しい植物園で、お花の大好きなスタッフのガイドを聞きながら、また、牧野富太郎という植物学者が、大正、昭和と残した神戸での足跡にも、思いを寄せてみてください。彼の学問の集大成「牧野日本植物圖鑑」を持って…。

 

神戸市立 花と緑の相談センター

 

諏訪山公園の一角にある「花と緑の相談センター」は、私にとっては、植物のことで悩んだ時、何でも相談できる、クリニックか駆け込み寺のような所です。

 

梅雨が開ける前の七月上旬〈アジサイの剪定〉講座に参加するために、久々にここにやって来ました。ハンギングバスケットやランの栽培などの講座は、申し込みのタイミングが遅いと、30人の定員がすぐいっぱいになる程の人気があります。この日の講師、古谷先生は、普段は文化ホールや公園などの手入れをされている専門家ですが、手作りの資料に基づいた、ユーモアあふれる講義は分かりやすく、和やかな雰囲気です。そして、熱心にメモをとったり頷いたり、また、赤いアジサイを青色にするにはどうしたらよいか?などのやや突っ込んだ質問をする受講生にも、丁寧に回答してくれました。実習では、鮮やかな手つきでアジサイの剪定をする先生を囲み、手元を注視しながら、矢継ぎ早に質問が飛び交っていました。
さて、同センターの歴史を所長さんにお尋ねしてみると、神戸市内で第一号の「花と緑の相談所」(当時の呼称)が、北区の鈴蘭公園に作られたのは、昭和52年、日本でも、花と緑の相談所第一号だったそうです。諏訪山公園の相談所ができたのは、それから2年後です。鈴蘭公園の相談所は、現在(いま)では、相楽園の菊花展の時の菊作りが行われています。日本全体で都市の緑化が推し進められていた頃の、象徴的な施設といえます。
センターの前庭は公園になっています。が、不思議な事に、季節毎に美しく手入れの行き届いた花々を眺めていると、どうすればこんな風に各々の植物が活き活きと育つのか、と自分の家の庭と比べてしまいます。 自分の住んでいる街を花や緑で美しくするー事はそんなに難しいことではないように思えてきました。
まずは、剪定バサミを持ち、来年も大きな綺麗な花を咲かせてね、と語りかけながら思い切って枝を切ることから始まると確信して相談センターを後にしました。

2013-7-19

初夏の花散歩 ~離宮公園編~


梅雨のころから初夏にかけての楽しみの一つは、なんといっても紫陽花でしょうか。
西日本屈指の名所は、[神戸市立森林植物園」です。25種・約5万株の紫陽花が、次々咲き始め7月中頃まで楽しませてくれます。
さて今回は、密かに私が気に入っている紫陽花スポットをご案内しますね。それは「神戸市立須磨離宮公園」です。離宮公園と言えば薔薇が有名ですが、東門まで少し足をのばしてみてください。
14品種・8000株の紫陽花が今見頃を迎えています。もともと4000株ほどあった所に、平成18、19年に、神戸女子大学の学生さんの協力で4000株を植栽してもらって倍増しました。
初めてこのあじさい園を訪れた時、私は、なんとなく「紫陽花たちが喜んでいる!」と感じたのでした。直接強い光が当たることなく、周囲の木々からの木洩れ日がやさしく紫陽花を包み、ほど良い緑陰で心地よさそうに思いました。
すでに見頃は過ぎていますが、約3000株のハナショウブのその雅な風情の名残も、一目見ておいてくださいね。
さて、最後にもう一つとっておきがあります。 あじさい園の近くの池にの一角に「半夏生」(ドクダミ科)があります。元は夏至から数えて11日目にあたる7月2日頃のことですが、この時期に花が咲くので名付けられたようです。葉の下半分が白く、まるで半分お化粧したかのようで、なんとなく、慌てん坊の娘さんみたいで笑えます。
晴れていても、またしとしと雨が降っていても、楽しい花散歩です。
2013-6-21

湊川神社の魅力あれこれ

 


湊川神社は、私の好きな所のひとつです。元旦、仕事を終えてからの初詣から始まり、季節を問わず、用事があってもなくても境内を通り抜け、
緑陰のベンチでゆったりと時間を過ごします。
神社の正門の東側に大きな木があります。オリーブによく似た実を付ける《ホルトの木》です。
゛ポルトガルによく生えているオリーブによく似ている木゛が名前の語源とも言われています。

さぁ、正門をくぐりましよう。左手にある木が、日本最古といわれているオリーブの木です。
明治初期の旧国営「神戸オリーブ園」で栽培されていた600本の内の一本です。
樹齢130年を越えた、高さ約13メートルの大木は、明治・大正・昭和・平成と時代を見つめてきました。
数年前、かなり高齢の方からー戦前に神社の前にあった石の鳥居は今どうなっていますか?ーと聞かれたことがありました。
正門の前の広い道路、多聞通(たもんどおり、楠木正成の幼名に因む)に面して、゛湊川神社゛と彫られた高さ5メートル位の円柱の社号標があります。これが、当時としてはかなり巨大だったであろう、石の鳥居の一部です。
この鳥居は、オブラートを発明したり、満鉄事業に参加し゛満鉄太郎゛の名を馳せた実業家山下太郎が、昭和12年12月に寄贈したものです。
山下太郎は、湊川神社に祀らている楠木正成の末裔にあたり、昭和12年5月25日に結成された楠木同族会の会長もされてます。
この鳥居は、昭和13年8月に突然倒壊してしまったそうです。残されている資料がないので定かではありませんが、この辺りは地下に水が流れていたので、おそらく大鳥居の重みに地盤が耐えられなかったのでは、といわれています。
神戸の人は親しみをこめて゛楠公さん゛と呼んでいる湊川神社。創建されたのは、神戸開港の五年後のことです。
湊川の戦いで敗れ、正成たちが戦死した5月25日には、毎年「楠公祭」が行われています。ひと昔前には、この日に袷(あわせ)の着物から夏用の一重に衣替えをしたそうです。
暮らしの中で生きている社ー「楠公さん」です。

2013-5-24

須磨離宮公園 梅見会

まだまだ寒いこの頃、どこかでかくれんぼをしているはずかしがり屋の春を探してみませんか…。
須磨離宮公園では、2月9日(土)~3月10日(日)まで「梅見会」が行われています。厳寒の中でも凛として咲く梅、2月になると梅林の約25種160本の梅が次々と色鮮やかに輝き始めます。 さて、みなさんは離宮公園に入る時、どこから入園されますか?
私はいつも山陽電鉄「月見山」駅から「バラの小径(こみち)」と書かれた案内板と路上に埋め込まれたバラの陶板を辿って離宮道を通り正門から入ります。この離宮道は行幸(ぎょうこう)道とも呼ばれ、脇の歩道より少し高くなっています。 離宮公園の歴史をひもといていくと、もとは、シルクロード探検で知られている大谷光端(こうずい)の西本願寺月見山別邸でした。その別邸と背後の山林を当時の宮内省が買収し、天皇のご宿泊のための別荘「武庫離宮」として完成したのが100年前の大正3年です。3500・の総檜造りの御殿は1945年の空襲で焼失してしまいましたが、約30年の間に、大正天皇、昭和天皇、満州国溥儀(ふぎ)皇帝らが滞在されています。離宮道から正門を抜けて御殿の玄関までが馬車道と呼ばれていました。何と優雅な響きでしょうか。他にも、ベルサイユ宮殿風の噴水公園や「華麗なる一族」のモデルと言われている岡崎財閥の屋敷跡もあります。
梅を観ながら、ベンチに腰をおろし遠くに神戸のうららかな海を眺め、贅沢な時の流れに身をおいてみませんか。