1995年1月17日5時46分に明石海峡の海底下16㎞を震源として発生した兵庫県南部地震は、
「近畿地方では大地震は起こらない」と思い込んでいた市民にとって、「寝耳に水」の出来事でした。1972年に神戸市は専門家に調査を委託し、結果は1974年に「神戸と地震」という報告書として提出されました。

そこでは「六甲山地の断層の多くは活断層と考えられ」「活断層群の実在するこの地域で、将来都
市直下型の大地震が発生する可能性はあり、その時断層付近で亀裂・変位
がおこり、壊滅的な被害を受けることは間違いない」と書いてありました。
報告書の通り、六甲山地と淡路島の活断層が動き、大きな地震動が神戸、芦屋、西宮などの都市を
襲い、「壊滅的な被害」を受けることになりました。M7.3と言えば、ありふれた地震ですが、被害は死者6434人、全壊家屋約10万戸の阪神・淡路大震災と呼ばれる戦後最大級の自然災害に結びつきました。
淡路市の西海岸に沿って地表に延長10㎞におよぶ地震断層が出現しました。以前から知られてい
た野島断層が再活動しました。地震波の解析から10秒余りの間に50㎞におよぶ断層が動いたと推定されました。神戸側では須磨断層や会下山断層、諏訪山断層の地下で断層が動いたと考えられま
す。岩盤が破壊されて、ずれ動いた震源断層です。

震源は断層の破壊が始まった点ですが、断層の破壊は面で進行します。震源断層から発出した地
震波はその直上の地点に間を置かずに到達し、ものを飛ばすような破壊的な揺れを引き起こしまし
た。(次号に続く)
2023-2