毎年、淡路島の西海岸や垂水区の塩屋の海岸で石を拾います。「日本列島3億年の歴史を語る岩石実物図鑑をつくる」ワークショップの教材集めです。多いのはチャートです。いろいろな色のとても硬くつやのある石です。この石の謎の解明が日本列島の生い立ちについて考え方の根本的な転換(革命)につながりました。
チャートは成因がよくわからない謎の堆積岩でした。化学的沈殿説と生物起源説があり、前者が支配的でした。1970年代まではチャートからは化石がほとんど見つからず、同じ地層から見つかる石灰岩はサンゴなどの化石が多数見つかるのとは対照的でした。ところが、チャートをフッ酸で処理すると岩石の表面から細かい粒が浮き出てきて、顕微鏡で観察すると放散虫というプランクトンの一種であることがわかりました。チャートは放散虫の遺骸の集合体だったのです。
日本列島の各地に分布する「秩父古生層」などの地層は日本列島の骨格をつくる地層です。石灰岩に入っている化石から古生代に堆積したと考えられていました。この地層は、グニャグニャに曲がり、断層でズタズタに切れ、さまざまな岩石が複雑に組み合わさっています。
そこで考えられたのが「地向斜造山運動」でした。地向斜では堆積物をためながら深くまで沈降が進み、やがて隆起に転じて山脈が作られるとされました。アルプスもヒマラヤも日本列島でも地向斜造山運動が起こったと信じられていました。1980年代には放散虫化石の研究や古地磁気の研究などにより、地向斜造山運動は完全に否定され、新しいプレートテクトニクスによる日本列島像が決定的になりました。(以下次号につづく)