兵庫県南部地震で初めて適用された震度7の激震地は北淡町、神戸市須磨区から東灘区、芦屋市、西宮市にかけて幅1〜2㎞、延長20㎞にわたって帯状に広がりました。その帯は従来から知られて
いる活断層と離れた位置にあったので、「震災の帯の不思議」と言われました。帯の場所にまだ知
られていない伏在断層があるのではないかという説も出されました。確かに平野部や大阪湾の地下
に地表に現れない伏在断層があることが、その後の調査で分かりました。
震災の帯ができた理由は、地震動の強さが基盤の形状や地盤の状況に左右され、地震波の屈折と
合成による「焦点効果」が生じたと説明されています。
地震学者の尾池和夫さんは西日本の過去の地震活動に規則性があること明らかにしました。地震
の活動期と静穏期が規則的に繰り返していて、南海トラフを震源とするM8級の地震の前後7
0年ほどが活動期です。1962年〜94年までの33年間は静穏期にあたり、西日本で大地震が起こっていません。多くの市民が「関西では大地震は起こらない」と思い込んでいたのは、この時の経験的記憶によるものでした。
1995年の兵庫県南部地震は地震の静穏期の終了と活動期の開始を意味していました。
六甲変動を提唱した藤田和夫さんは、地震発生時には病院に入院中でした。その瞬間、「六甲の
断層が動いた」と直感し、「今回の地震に伴う変動がこれまで長い歳月をかけて現在の六甲山地を形作ってきた地殻変動の一環であったと思った」と語っています。1回の地震での断層の動きはわずかですが、そんな動きを何千回も繰り返して六甲山と大阪湾ができたとい
うことがわかります。