毎朝、NHKの朝ドラ「らんまん」を楽しみに見ています。神木隆之介が演じる万太郎は植物学の研究に没頭し、浜辺美波が演ずる寿惠子はたくさんの子どもを育てながら、万太郎の研究と生活を支えます。この夫婦が明るく、おおらかに難局を切りぬけ、生きていく姿に「さわやかさ」「たくましさ」を感じます。

万太郎のモデルは日本の植物分類学の父と言われる牧野富太郎です。牧野は1862年(文久2年)に高知県佐川村の裕福な造り酒屋の息子として生まれます。幼少時から植物に親しみ、20歳で上京、植物の研究に没頭し、1957年に94歳で亡くなるまでに、日本の植物分類学の基礎となる研究成果をあげます。牧野によって命名された植物は1600種、50万点に及ぶ植物標本の作成、緻密なスケッチと記載の「牧野日本植物図鑑」の発行など。

牧野は研究のための膨大な書物を買い揃え、そのために借金が膨らみ生活に困窮します。困り果てて標本を売ってしのごうとします。1916年の東京朝日新聞に「不遇の植物学者牧野氏標本10万点を売らん」の記事が載ります。それに応えたのが神戸の資産家である池長孟(はじめ)でした。池長は標本10万点を3万円で買い取り、兵庫区の会下山に植物研究所を設立する契約を結びます。契約には牧野は「毎月1回は神戸に行って研究する」との条項もあります。1918年に「池長植物研究所」が開所します。その後、牧野はしばしば神戸を訪れ、六甲山地に足を運び、植物採集会をしたり、講演をしたりし、神戸と深くかかわります。しかし、植物研究所の運営は行き詰まります。

1940年には池長が蒐集した美術品を展示した「池長(南蛮)美術館」が開館し、牧野の念願だった「牧野日本植物図鑑」が発行され、1941年には25年ぶりに植物研究所に保管されていた膨大な標本と蔵書が牧野に返還されます。その資料は現在「首都大学東京牧野標本館」に収蔵されています。会下山の池長植物研究所跡は「牧野富太郎植物研究所跡」として、当時の門柱や55歳で亡くなった妻・壽衛子の名を冠した「スエコザサ」などと共に整備されています。
2023-9