自己決定権

新年あけましておめでとうございます。この連載も120回を超え、また新たな年をみなさまと一緒に迎えさせていただくことができました。本年も引き続きよろしくお願いいたします。

さて、新年号ということで、普段ご紹介している日常的・具体的なトピックスを離れ、少し根幹的な話をさせていただこうと思います。

みなさまは、「自己決定権」という言葉を聞いたことがありますか。これは、「個人が、個人的な事柄について、公権力から干渉されることなく、自由に決定する権利」と定義され、憲法第13条の解釈から導かれる、憲法上の人権です。

この自己決定の前提として、必要な情報を適時かつ的確に得られることが不可欠です。そして、そのような情報の提供をする役割を本質的に期待されているのが報道です。

しかし、紙面・時間の制約がある以上、世の中の全ての事象について報道することは不可能であり、ニュースとして取り上げるかどうかの判断はもっぱら報道機関に委ねられることになります。そして、そこには当然、恣意が働きます。

そうすると、「何が報道されたのか」よりも「何が報道されなかったのか」を考えることが、報道と接する上でとても重要になります。もっとも、それは、ネットニュースのパーソナライズ機能なども拍車をかける形で、多くの人にとって困難な作業になると思われます。

もとより、「自分の頭で考える」ということは、骨の折れる営みです。誰かが指示をしてくれたらそれに従う方が楽だという気持ちは理解できます。

しかし、多くの場合、指示にしたがって不利益が発生しても、誰も責任を取ってくれません。責任を取ったとしても金銭的な補償がせいぜいで、発生した不利益そのものがなかったことになるわけではありません。

自分を、そして大切な人を守るために、与えられた情報を鵜呑みにせず、書籍などを通じて報道されていない事実にも目を向け、違和感を大切にすることが、従来よりもさらに大切になると思っています。

2023-01-01

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