子どもへの体罰

 

先般、東京都は、保護者による体罰や暴言の禁止などを盛り込んだ子どもへの虐待防止条例の素案を公表しました。児童虐待防止についての条例は大阪や埼玉など9府県で施行されていますが、保護者の体罰禁止が定められた条例はなく、もしこれが施行されれば全国で初めてということになります。
この手の話になったときには、よく、「体罰はしつけの一環」という主張に出くわします。
しかし、体罰は、基本的には、対象に恐怖心や無力感を植え付けることで委縮させ、コントロールすることを目的としています。そうすると、ここでいう「しつけ」とは、保護者にとって都合のよい、コントロールしやすい子どもに育てることを目的とした作用ということになります。これが「しつけ」の名に値するものかどうか、そう意見の分かれるところではないように思います。
また、そもそも、体罰は、「しつけ」該当性の文脈ではなく、人権問題としてとらえるべき論点です。明らかに違う力関係を背景に、自らに依存するしかない小さな存在に対し体罰を実行することで、自分自身を認められる人間に成長できるのでしょうか。
人がまるで機械のように働いていた時代はもうすぐ終わります。自分を認め、他人を認めることのできる人間こそが良好なコミュニケーションに恵まれ、結果、生産性も上がるという社会になるように思われます。人権という切り口だけではなく、経済性生産性の観点からも、体罰などで個性や自己肯定感にフタをしている場合ではないのではないか、そんなことを考えています。
201-1-1

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