憲法のこと考えてみませんか

昨年来、ヘイトスピーチや秘密保護法、集団的自衛権や衆議院の定数是正など、憲法に関するトピックスが大々的に報じられることが多くなっています。
そこで、今回は紙面をお借りして、「そもそも、憲法って何なの?」ということについて、出来るだけわかりやすく説明させて頂こうと思います。

まず、日本国憲法を含む近代憲法の一番の特徴は、「個人の尊厳」を一番大切にしていることです。日本国憲法でも、第13条前段において「すべて国民は、個人として尊重される。」と明記され、「個人の尊重」が日本国憲法の一番大切な価値であることを示しています。そして、この個人の尊重を具体化するものとして、たとえば表現の自由とか、あるいは職業選択の自由といった人権規定が、日本国憲法99か条のうち31か条もの分量を割いて、詳細に規定されています。
ここで、こういう話をすると、必ず「個人個人というから自分勝手な人間が増えている。」ということをいう方がいらっしゃいます。果たして、近代憲法、日本国憲法は、自分勝手を推奨しているのでしょうか。
この点について、確かに、抽象的な「国家」や「社会」のために個人が犠牲になることを、日本国憲法は想定してはいません。
しかし、自分も尊重されるべき個人なら、他人も尊重されるべき個人。等しく大切なお互いの人権が衝突した場合には、そのときの事情や人権の性質によって、調整して解決策を見出しましょう、と憲法には書いています(憲法第13条後段「公共の福祉」とはその意味です。)。冒頭で提示しましたヘイトスピーチの話は、在特会の方の表現の自由という人権と、在日の方の人格権等の人権の調整の問題であるといえます。

このように、「個人の尊重」が憲法の根本的な価値であるということは、憲法の他の規定や原理も、「個人の尊重」に役立つもの、あるいは「個人の尊重」の結果、ということになります。
たとえば、「国家」という単位で多くの国民の命や財産を賭けて争いをしていたのでは、個人の尊重どころではありません。ひとりひとりを大切にするためには平和であることが大前提となります。これが「平和主義」の考え方です。
また、ひとりひとりを個人として尊重するなら、ひとりひとりの政治的な考え方や主義主張も、等しく価値のあるものとして取り扱い、政治に反映すべき、ということになります。これが「国民主権」の考え方です。
ここで、かの「秘密保護法」は、国民主権の考え方からはどう捉えるべきでしょうか。「主権者」である「国民」が得たい情報を、「国家」(これが一体誰を指す言葉なのか、未だに判然としませんが。)の利益のために秘匿することは許されるのでしょうか。

以上のように、個人を尊重するためには、個人の自由を制限する可能性がある国家権力に歯止めをかけなければならない、という発想につながります。多くの方が誤解されているところですが、憲法は「国民」に向けられたルールなのではなく、「国家権力」に向けられたルールなのです。もちろん、国民生活においても、お互いを尊重することはとても大切なことなのですが、直接、憲法が「個人を尊重しなさい」と命じているのは国家権力であり、公務員なのです。ちなみに、公務員の憲法尊重擁護義務は、憲法本文の最後の規定、第99条に明文で定められています。
ここまで読まれて、みなさんは、憲法改正の手続を取らずに内閣の意思だけで憲法の解釈を変更した集団的自衛権のトピックスについては、どのようにお考えになるでしょうか。国家権力である内閣は憲法を尊重したといえるのでしょうか(このトピックスは、前述した平和主義、また後述する三権分立との関係でも問題になります。)。
もっとも、「国家権力に歯止めをかけなければならない」と言われても、自由の獲得のために血を流した経験をほとんど持たない我が国では、ピンとこない人が多いのかも知れません。
しかし、国家の仕組みとして考える場合には、「総理大臣になるようなお方は立派な人だから大丈夫」ではなくて、「人間は、その人柄に全く問題がなかったとしても、権力を持てばついつい濫用してしまうもの」という、「人間の弱さ」を前提として考えなくてはなりません。
そして日本国憲法では、その「人間の弱さ」を前提として、「権力を3つに分けて、お互いに監視させる」という「三権分立」という仕組を採用しました。このように、「三権分立」という仕組も、「個人の尊重」を侵しかねない国家権力を適正化するための仕組として採用されたものですから、やはり「個人の尊重」を全うするための手段ということになります。
そして、その牽制の仕組みのひとつとして、司法権を担う裁判所は、国会が決めた法律が憲法に反している、という判断をする権限を有しています。そして、国会は、裁判所の判断を尊重して、違憲とされた法律を速やかに改正すべきとされています。
しかし、国会は、長年にわたって、衆議院の定数問題について、裁判所の違憲、あるいは違憲の疑いが強いという宣言を無視し続けています。私個人としては、一票の価値を完全に同じにしてしまうと、大都市だけでモノが決まってしまうという弊害があるとは思っていますが、それでも憲法の基本原理である三権分立を国会が無視しているという状況は、傲慢のそしりを免れないと思っています。

憲法が一番大切にしているのは「個人」。当然、個人はそれぞれに違いますから、それを大切にするというなら、何より必要なのは「想像力」ではないか、と思っています。
自分と違う人の立場を想像する、ということが、個人レベルでの「出来ること」であり、その結果、生活する上での風通しがよくなったり、また冒頭に提示させて頂いた各問題に対する自分なりの行動が見えてきたり、ということにつながるのかな、本稿を通じて、そんなことを考えるきっかけにして頂ければ幸いです。

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兵庫県弁護士会所属  弁護士  佐々木  伸

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