布引の滝で”野点”しませんか

 

新神戸駅から山道を約20分ほど登ると、「布引の滝」4つの滝で一番大きな雄滝(おんたき)に着きます。
市街地からこんなにも近い所に、姿の美しい、雄壮な滝の景色に出会えるのは、全国的にも珍しいので、近年は日本各地からのみならず、欧米を中心に世界各地からの観光客が、「神戸の秘境」として訪れています。
さて「神戸布引 野点」として初めて開催されたのは、、2017(平成30)年5月でした。新緑と紅葉の頃に計画されて今回は4回目となります。
堅苦しくてハードルの高い”お茶会”ではなくて、コーヒーを飲むような感じで気軽に参加ができて、なお、茶事に親しんでもらいたい、と有本先生(表千家)が茶席を担当してくたさいます。
雄滝の水の音がBGM、という贅沢さです。
咳払いをしても、お茶碗を何回どちらに回しても、気兼ねをする事なく、登山の服装で参加してくださいね。
まずは、季節のならではの和菓子をいただいてから飲む「お茶」の美味しさ、は格別です。
行きは滝を眺めながら、帰りは、中央区では屈指の紅葉の名所の徳光院を抜けて下山が、おすすめです。
駆け足で過ぎて行く季節を、こんなにも近くで楽しむことができます。
お申し込みは、チラシを参照してください。

五本松かくれ滝からハーブ園散策

新神戸駅から布引の滝を横目に、今回はその奥まで足を伸ばしました。見晴らし展望台から、”猿のかずら橋”辺りは、木陰で歩きやすく心地よい道です。
と、突然水音と共に滝が現れました。これは通称「浅見の滝」と呼ばれていますが、「五本松かくれ滝」が正式名称です。中央区にある選定委員会がもうけられ、887件の候補から正式に命名されたのは今から13年前のことです。布引貯水地からオーバーフローした時に放水路として流れている滝ですので、いつも見られる訳ではありません。
←めったに見られない「五本松かくれ滝」

 

そこから、美味しいすき焼きが名物の「紅葉の茶屋」で悦子女将さんに挨拶をしようと立ち寄りました。
早朝8時前ですが、すでに数人の方が茶屋前の広場で宴会をされていました。この辺りの山道をきれいに掃き清めてくれている人たちでした。ここは、女将さんの笑顔がすき焼き以上に人を惹き付けているようです。
さて、ここから、桜茶屋を通り天狗道の手前の近道を歩きました。天狗道は休日ともなると、全山縦走中最後の難関とも言える道の訓練のために、果敢に挑む人が絶えません。がこちらの道はハーブ園への近道ですが、ほとんど出会う人はいません。
           ↑ハーブ園でのドイツ祭り

さて山道から、ハーブ園訪れてみると、大勢のマスクをした人で賑わっています。中庭のテーブルやベンチで各々にお弁当やドイツビール、ハチミツのソフトクリームなどを食べながら楽しまれていました。
ハーブ園内の坂道で、シュウメイギクやコスモスやレストランで出される野菜を見ながら、芝生広場まで来るとセンニチコウが満開でした。ハンモックでお昼寝ができるようになっています。
街中からすぐ背後に、素敵な癒しのゾーンがあるしあわせを改めて感じました。

2020-10

「ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく」展

デザイナーの皆川明さんが設立したブランド、”ミナ ペルホネン”はフィンランド語で、私の蝶、という意味です。
ファッションからスタートした活動は、家具、絵画、建築模型から詩作まで生活全般に広がり、様々な角度から、皆川さんの25周年に亘る仕事が紹介されています。
展覧会の会場入り口の壁一面には、50センチ四方のクッションが330個飾られていて、その圧巻の風景に、まずは驚きました。いつも見慣れた近代美術館のコンクリートの壁に、花が咲き乱れているかのようです。
また「洋服の森」のコーナーには、1995年から2020年までの洋服390体以上が年代ごとではなく展示されています。短いサイクルで消費されついく服には背を向けて、時代を経ても長く愛用される服を目指している、という皆川さんの哲学が現れているコーナーです。
私が今回の展覧会で最も感動したのは、「洋服と記憶」のコーナーでした。
所有者からお借りした服15点を、それぞれの所有者の思い出と共に展示されていました。照明の落とされたその空間で、時に洋服が単なる洋服ではなく、その方々の人生そのものになっていることに、深く感動し自然に涙がこぼれおちました。
この展覧会では、皆川さんのイメージしたデザインは、多くの卓抜した職人さんの手により引き継がれて制作されていることが、丁寧に語り継がれています。
この時代に、今一度、丁寧に誠実に暮らし生きていくことの意味合いを問われた、かのような展覧会でした、
ミナ ペルホネン/皆川明 つづく
兵庫県立近代美術館
2020年7月3日(金)~11月8日(日)
日時指定の完全予約制
0782620901

 大倉山公園と伊藤博文の銅像

このコロナ禍で神戸中央図書館によく足を運んだ、という人も多かったかと思います。さて、図書館や文化ホール、散歩やランニングもできるふるさとの森、中央体育館まで含む「大倉山公園」についてご案内したいと思います。
この辺りは、もともと「広厳寺山」とか「安養寺山」と呼ばれていて、「大倉山」といれるようになるのは明治に入ってからのごとです。
ここに、謎の建造物があります。約9メートル四方で高さ4~5メートルの正方体にピラミッド状に石段が積まれている、立派な主のない台座です。
この台座の主は、伊藤博文でした。明治憲法を起草し初代内閣総理大臣を務め、また初代の兵庫県知事も務めた人ですから県民にとってもなじみ深い人です。最初の伊藤の銅像は、1904(明治37)年に湊川神社に設置されましたが、日露戦争後に日本がロシアと結んだ講和条約に怒った民衆が像を倒してしまいました。
しかし、伊藤が1909(明治42)年にハルビンで反日派の韓国の青年に暗殺されると、また銅像再建の話が持ち上がります。
それは、明治の動乱期に御用商人として活躍し一代で財を成した実業家、大倉喜八郎によるものでした。
長らく伊藤と交流があり、こよなく尊敬もしていた伊藤が、気に入っていた大倉山の地に立派な台座を造り、銅像を建てるので、伊藤の功績を顕彰するための公園として市民に開放してほしい、と「大倉山公園」が開園したのは、1911(明治44)年のことでした。
しかし太平洋戦争で金属供出が求められて、また伊藤像はなくなり、その後は再建されることなく見上げるような台座だけが残りました。
居留地にも「伊藤町」としてその名前が残されています。
が、69歳でなくなるまでの伊藤博文の波乱な人生を象徴しているかのような、巨大な「台座」です。
また、時代の激動期に固く結ばれた、実業家大倉喜八郎と、政治家伊藤博文の絆の証だった「大倉山公園」、ゆっくりと散策してみてください。

ありがとう「タンタン」 王子動物園

 

神戸市立動物園のジャイアントパンダ「旦旦(タンタン、メス24歳)」、今年の7月に、といういよいよ中国からの貸与期限を迎え、中国に帰国することが決まっています。
動物園で一番人気の「タンタン」は、2000(平成12)年7月16日、震災後の神戸を元気づけるため中国からやって来ました。
これまで、2010年、2015年と延長されてきましたが、今回は、高齢となった「タンタン」を、体への負担が少なく多くの仲間が暮らす生まれ故郷で過ごさせたい、また、高齢パンダの飼育経験も豊かなので任せてほしい、という中国側からの申し出があり、生まれ故郷にかえってもらうことにした、という動物園側の判断でした。
しかし、このコロナ禍で、中国への直行便が運休しているために、猛暑の移動で暑さに強くないパンダに負担をかけてはならない、ということで直行便が再開されてからの秋以降に帰国する見込みになりそうです。
今は、動物園での公開は、同園のサイトから申し込みの上「タンタン」と最後のお別れができるようになっています。
「タンタン」が帰国するのを前に、市内で「ありがとうキャンペーン」が展開されています。
東遊園地の「こうべ花時計」がタンタン柄に植え替えられていたり、フラワーロードや元町大丸神戸みせあたりの120枚のバナーも「ありがとうタンタン」のデザインになっています。
またこのようなキャンペーン以外にも、神戸市民には馴染みの学習帳「神戸ノート」(長田区「関西ノート」が1952年から販売)に、約40年ぶりに新商品が出て、表紙に「タンタン」が採用されています。
「タンタン」柄の企画は昨年から企画が進められていて、表紙の「タンタン」の姿は2018年に撮影されて、岩に寝そべってリラックスするかわいい姿が収められています。
20年にわたり神戸の人たちに、元気を与えてくれた人気者「タンタン」に、別れを惜しみながら街のあちらこちらに、様々な表情の「タンタン」を見つけてみてください。
コロナのおかげで、少しお別れが延びたことに感謝しながら、街中のたくさんのバナーの中から、海苔を巻いたおにぎりにしかみえない、「タンタン」の後ろ姿二枚を探してみてくださいね??。

虹の石 ~後藤比奈夫さんのこと~

 

2020年6月5日に、俳人 後藤比奈夫さんが亡くなられました。1917(大正6)年生まれですから、103歳でした。
私が高校生の時に、現代国語の教科書で習ったことのある人でした。その俳句の世界では有名な重鎮の後藤比奈夫さんとの、間接的な出会いの始まりは、今から25年あまり前のことです。
風の強い寒い日に、老夫婦が案内所に来られ、「後藤先生の虹の石の句碑は、何処にありますか?」と尋ねられました。
その時、恥ずかしいことに、私はその存在を知らなくて、調べるのにしばらく待って頂きました。
そして、ようやく東遊園地の南東あたりにあることがわかりました。
しかし、他所から来られ、この辺りに詳しくない人が行くのはたいへんだろうと、ご一緒することにしました。

「虹の足とは ふ確に美しき 比奈夫」
と刻まれた句碑は、大きな手水(ちょうず)鉢のような彫刻作品でした。

 

句碑~虹の石~(彫刻作品)。
文学とアートのコラボレーション
造形作家 河口龍夫氏作
(神戸出身)

この句碑は、ご自身の目で確かめて、感じて頂くのが一番。東遊園地の東、フラワーロードにあります。

神戸出身の有名な造形作家、河口龍夫氏による作品で、くり貫かれた黒御影石の、底に俳句が彫られていています。
後藤比奈夫さんの俳句は、水面越しにゆらゆらと見えています。
でも、時には、空や、落ち葉や近くの大きなくすの木などが映っていますから、意識しないで歩いていると、うっかり通り過ぎてしまうこともあります。
お二人は、その美しい句碑との出会いを、とても喜んで帰られました。
後藤比奈夫さんの主宰されていた俳句の会に、徳島から参加されて、
帰路、一目「虹の石」を見ておきたかった、ということが、後に頂いた葉書でわかりました。
その後、ご縁があって、後藤比奈夫さんのお孫さんにあたる
和田華凜さんと出会い、少し俳句を習う機会もありました。
句碑で、これほど素敵な句碑は他にはないように思われて、私は今でも、あの日に偶然訪ねて来られた老夫婦に感謝の気持ちでいっぱいです。

クリスマスローズ そんなに 俯くな

六甲山にも それなりの 登山地図

集団で してゐる主張 吾亦紅(われもこう)

アネモネの 好きな彼女を 思い出す

など、4年前の後藤比奈夫句集「白寿」から、ワクワクとドキドキの作品を選んでみました。

山手街園(バラ園)

気がつけば花の盛りを今年は一度も目にしないまま、季節は過ぎようとしています一という文章に、目が留まりました。桜のお花見のことに触れてのエッセイの一部でした。
お花見どころか、マスクをして、すれ違う人たちともなるべく一定の距離を置いて、という自粛の新しい生活スタイルが、次第に身についてきました。が、逆に、名前もわからないような小さな花や、道端でふと見つけた雑草でさえいとおしく感じますね。
今回は、目にいっぱいのバラの花に癒されるスポットをご紹介したいと思います。

昔から多くの人が行き交う主要幹線の中山手通りに、ひときわ目を引く花園があります。
この「山手街園」(以降通称のバラ園に)が造られたのは、昭和39年頃のこと。
ちょうど戦後の復興期で、街にひとときのやすらぎを、と自宅でバラの育成を手がけていた筑紫六郎さんの寄付金をもとに、神戸市が窓口となって「神戸市街頭バラ園創成基金協会」を作り、街頭にバラを植樹することになり、生まれたのが山手バラ園です。
当時から街路樹といえば、アオギリやヒラドツツジ、アベリヤなどと決まっていて、このようにバラは珍しかったそうですが、今でも、緑地帯にバラを植えている例はほとんどありません。
協会は昭和55年に解散しましたが、その後の管理は神戸市に引き継がれました。現在の山手バラ園は平成4年に改修され、約500㎡の園内には、15種550株のバラが5月から11月まで咲き継ぎます。
とりわけ、今5月は見事なバラを愛でることができます。
誰でも通りすがりに、また車の中からでも見ることができます。
こんなときだからこそ、みんなでわざわざではないお花見を
楽しんでください。
山手街園(バラ園) 中央区中山手通4丁目

神戸のいちご

神戸市内でのいちご狩りが、いよいよ、3月20日から本格的に始まります。
北区の、有野町二郎、大沢町上大沢、淡河町中山、長尾町上津の4地区には、23ヵ所の農園があります。
そもそも、神戸でのいちごの栽培は大正10年頃、有野町二郎で始まりました。歴史を遡ると、兵庫県におけるいちごの発祥は鳴尾村(現在の西宮市)で、明治の37年頃から昭和の初め頃まで盛んでした。その当時、有名だった鳴尾の生産者さんから苗を分けてもらって栽培を始めたのが有野いちご部会会長の滑浦さんのお父さんでした。
二郎で、関西で初めての”いちご狩り園”が開園したのは昭和35年頃のことです。
このあたりで、いちごの栽培が盛んになったのは、六甲山からの豊富な伏流水と、水はけの良いさらさらの砂地、それに昼夜の寒暖差が大きい、という自然環境がいちごの栽培に適していたからです。いちごの登録品種は150種以上ありますが、神戸では、大きくて甘さが人気の「章姫」、「さがほのか」、「紅ほっぺ」など約10品種が栽培されています。
これらのいちごは、ほとんどスーパーなどには卸されていませんので、いちご狩りで味わうか、直販所で求めてくださいね。
6月上旬まで開園予定、午前10時から午後1時まで
入園時間は45分間、大人1700円小学生1500円
078-961-2650まで
新型肺炎コロナ対策として、手洗いとビニールハウス内の換気は申し合わされています。
いちごで笑顔になりましょう!

「神戸市民山の会」のこと、知っていますか?その2

毎日登山の会や、各地に支部を置いている「神戸ヒヨコ登山会」などをまとめて、神戸市全体の組織として「市民山の会」ができたのは昭和23年のことでした。
神戸市民のレクリエーション活動として、登山を通じた健康づくりが目的に神戸市がしていますから、誰でも参加することができます。
原則毎月第3日曜日に集合場所に行けばよいので、一人ではなんとなく心配だけれど、せっかく六甲山の豊かな山懐に住んでいるのだから山歩きを楽しみたい、という人には良い機会になります。年間通じた毎月の行程は、ヒヨコ登山会のベテランの達人のアドバイスで、季節や歴史や楽しさなどの要素が十分に考えられ、そのうえに、一般向、家族向も考慮されて年間通じて六甲山の東から西までうまく計画されています。
次回2月16日日曜日は、阪急岡本駅午前9時集合で、約6キロの一般向向きコース、「梅咲く保久良神社」岡本八幡神社広場~見晴らし展望所~保久良神社までのコースです。
私は、「市民山の会」で安全で楽しい道を自分の中で学習して、後日その道を復習しながら独り歩きを楽しんでいます。
ぜひ、六甲山歩きを楽しむための、第一歩を、またかつてはよく山歩きしたのだけどね、という方も気軽に参加してみてくださいね。

「神戸市民山の会」のこと、知っていますか?その1

 

神戸ほど、山と海がバランスよく仲良く配置されている大都市は他に見当たらないように思います。
今日はちょっと山登りでもしようか、と急に思い立っても、どこからでも、すぐに山にとりつくことができます。
というのも、六甲全山縦走路、太陽と緑の道、山麓リボンの道、徳川道など眺めているだけでも楽しくなるような道が、きちんと整備され手入れされて、縦横に走っているからです。
さて、私もある日曜日、用事を済ませたのが10時で、一旦もう今日は無理かなぁ、と諦めかけたのですが、思い直し「市民山の会」に参加することにしました。
新神戸駅9時集合にはとても間に合わなかったので、元町駅山側から大師道を逆走して、すでに出発して数時間で再度公園でお昼休憩をして下山してくる一行を待ち受けることにしました。大師道を登り詰めた所の猩々池で、この日の参加者243人と合流して、再び諏訪山公園まで下山しました。それでも、2時間半で11キロ約18000歩は歩いていました。
心地よい汗をかいて自分としては大満足の休日でした。
毎日登山の会や、各地に支部を置いている「神戸ヒヨコ登山会」などをまとめて、神戸市全体の組織として「市民山の会」ができたのは昭和23年のことでした。
神戸市民のレクリエーション活動として、登山を通じた健康づくりが目的に神戸市がしていますから、誰でも参加することができます。