御影公会堂と御影公会堂食堂

さくらの花がいつまで持つだろう、風で散らないだろうかと気になっていた日々が過ぎ、心穏やかに過ごせる頃になりました。
歴史的な建物だけでなく、同様に歴史を刻んだ美味しい味にも出会える所が御影公会堂です
公会堂は、1933(昭和8)年、白鶴酒造七代目嘉納治兵衛氏の篤志により石屋川のほとりに建てられました。
会議やイベント、結婚式にも(昭和58年まで)場を提供し、市民のための拠点としての役割を果たしてきました。
六甲山を背景に、独特の美しいスクラッチタイルで覆われた壁面が、周囲の景色に溶け込み馴染んでいます。石屋川と国道2号の角にあるので、屋上の塔と共に記憶に残る建物です。
設計は、清水栄二で、現存する「神戸市立生糸検査所」、「市立魚崎小学校」、「甲南漬資料館」など多くの建物の設計で知られています。そして、耐震性を重視したということの証で、これまでの90年間、阪神大水害や太平洋戦争、大震災などに遭いながらも、決定的なダメージを負うことなく生き残ってきた、ということも驚きです。
さて、「御影公会堂食堂」は、御影公会堂の地下にあります。設計された当時のままのレトロながらモダンで、地下といいながら、適度に柔らかな光が差し込むすてきな空間です。大阪ホテル(現在のリーガロイヤルホテル)で修行され、披露宴の料理も手掛けノウハウを持っていたのが鈴木貞さん、この経歴から、公会堂の食堂に抜擢されたとのこと。二代目鈴木利裕さん、そして鈴木眞紀子さんがしっかりと命懸けで守られてきた場所と味を引き継がれています。二代目のお父様の背中を見ながら、レシピではなく体と舌で味を覚えてデミグラスソースも引き継がれています。
神戸の洋食に誇りを持っている”神戸っこ”にとって、何か大事な場面に家族みんなで一緒に来たところ、ここで結婚式を挙げられた人がお孫さんを連れて来るところ、が「御影公会堂食堂」です。

2022-4

花森安治「暮らしの手帖」の絵と神戸 おかえりなさい花森さん

今、神戸ゆかりの美術館(六甲アイランド)で「花森安治『暮らしの手帖』の絵と神戸」が開かれています。
初代編集長で、イラストレーターとして装丁もしていた花森安治さん(1911~1978)は、神戸(現在の須磨区生まれ)の出身ですが、案外知らない人の方が多いかもしれません。
特に、今回は、その驚くべき多才な仕事ぶりと共に、故郷・神戸への思いを取り上げているコーナーもあり、その原稿に思わず読みいってしまいました。
「暮らしの手帖」(当初は「美しい暮らしの手帖」)は1948(昭和24)年に、豊かで賢い暮らしを提案する”生活総合誌”として創刊されました。その時代には、まだ当たり前ではなかった冷蔵庫、洗濯機などの家電や日用品などの「商品テスト」が目玉の企画もあり、企業広告を一切載せずに斟酌(しんしゃく)や忖託(そんたく)などなしに、客観的で中立な批評がされていました。
花森が30年間担当して描いた表紙絵の、現存する原画153点の中から、今回は36点が出展されています。パステル、水彩やクレヨンなどの画材で描写された作品は、多様でこのまま絵本の表紙になるような愉しさです。因みに、クレヨンとクレパスの商品テストの記事も展示されていて、自分が幼い時につかっていたのはどれかなと、興味深く見ました。
国内各地を取材した連載「日本紀行」第一回(1963年)は、神戸が取り上げられています。
「明るくて、ハイカラで、すこしばかりおっちょこちょいで、底抜け楽天的で、それでいて必死に生きている」町、と神戸のことを書いています。
「暮らしを軽蔑する人間は、そのことだけで、軽蔑に値する」という花森の言葉どおり、「暮らしの手帖」は、名もない人たちのありのままの暮らしを記録し続けた雑誌でした。
しかし、それは、花森安治という伝説の編集者の高い美意識に裏付けされたものであった、ということを再認識させてくれる展覧会になっています。
3月14日まで月曜日休館◯078(858)15

2020/02/26号

「神戸市民山の会」のこと、知っていますか?その2

毎日登山の会や、各地に支部を置いている「神戸ヒヨコ登山会」などをまとめて、神戸市全体の組織として「市民山の会」ができたのは昭和23年のことでした。
神戸市民のレクリエーション活動として、登山を通じた健康づくりが目的に神戸市がしていますから、誰でも参加することができます。
原則毎月第3日曜日に集合場所に行けばよいので、一人ではなんとなく心配だけれど、せっかく六甲山の豊かな山懐に住んでいるのだから山歩きを楽しみたい、という人には良い機会になります。年間通じた毎月の行程は、ヒヨコ登山会のベテランの達人のアドバイスで、季節や歴史や楽しさなどの要素が十分に考えられ、そのうえに、一般向、家族向も考慮されて年間通じて六甲山の東から西までうまく計画されています。
次回2月16日日曜日は、阪急岡本駅午前9時集合で、約6キロの一般向向きコース、「梅咲く保久良神社」岡本八幡神社広場~見晴らし展望所~保久良神社までのコースです。
私は、「市民山の会」で安全で楽しい道を自分の中で学習して、後日その道を復習しながら独り歩きを楽しんでいます。
ぜひ、六甲山歩きを楽しむための、第一歩を、またかつてはよく山歩きしたのだけどね、という方も気軽に参加してみてくださいね。

神戸まぼろしの公会堂

 

六甲アイランドにある神戸ゆかりの美術館で、「神戸まぽろしの公会堂コンペ再現!~貴重な設計原図を一堂に~」が開かれています。
神戸は、モダンな街として発展してきましたが、その象徴として、現在の中央区大倉山に公会堂を建設する計画がありました。
市民からの、オペラや演劇などが鑑賞できる施設が欲しい、という要望を受けて神戸市は、戦前に二度、大正と昭和にコンペを開催しました。
ところが、最初の大正期は関東大震災による不況で、二度目の昭和戦前期は、日中戦争や阪神大水害などが相次いで、どちらもその計画は頓挫して、実際はどちらも建てられないまま終わり”まぼろしの公会堂”と呼ばれてきました。
文書館では、これらの実現する事のなかった2度のコンペの設計図を長年にわたり保管してていました。
今回の展覧会で、現存する設計原図を眺めることで、今まで知られることのなかった歴史の一面も垣間見ることができます。手書きの美しい図面から、今でも、こんな公会堂があれば素敵だと思わせるような設計図がたくさんあります。
“まぼろしの公会堂”、絵本のように楽しんでください。

特別展「神戸まぼろしの公会堂」2020 3.8まで
神戸ゆかりの美術館
毎週月曜日、年末年始(12月29日~1月3日)、1月14日(火曜日)、2月25日(火曜日)休館
入場料 一般800円
六甲ライナー「アイランドセンター」下車

神戸ゆかりの美術館~エヴァンゲリオン展~

ポートアイランドに続く、神戸第2の人工島、「六甲アイランド」は着工から16年を経て1988(昭和63)年に最初の住宅街が完成し入居が始まりました。街開きから30年、今では、約二万人の人口を擁する海上都市になっています。島への足となる六甲ライナーが開業したのは1990(平成2)年のことです。
さて、その六甲ライナーに乗って、神戸ゆかりの美術館に行ってました。
アイランドセンター駅を降りると目を引くのは、UFOをイメージさせる斬新なデザインの「神戸ファッション美術館」です。日本で初めてのファッションをテーマにした美術館で、1997年に開館しました。その一階にあるのが「神戸ゆかりの美術館」です。
今開催されているのが「エヴァンゲリオン展」です。
日本のオリジナルテレビアニメ「エヴァンゲリオン」の魅力を紹介している本格的な展覧会です。
1995年にテレビで放映されて以来、幅広い世代から支持をされ、人気を集めている名作ですが、今回の展覧会では、総数約1300点の作品や資料をを展示しています。貴重な生原画なども初公開されています。
まさしく未来都市を思わせる六甲アイランド、他にも美術館がありますから、海からの風を感じながら散策してみてください。

会期:2018年7月21日~9月24日
午前10時~午後17時
月曜日 休館日
一般1000円 大学生500円

便利な図書館

本を読みたい、と思った時に、先ず、本屋さんに行きますか。
私はどちらかというと、よく本を読む方なので、家の本棚がだんだん一杯になり、これ以上置き場所がなくなってきました。
そういう訳で、図書館で借りることが多くなりました。
職場から近い三宮図書館が便利で良く利用しています。
5年前から、市内11か所の図書館以外に「予約図書受取コーナーが」ができました。
広い北区、西区は4か所で各区に1か所、全部で14か所設置されています。インターネットで予約申し込みをした市立図書館の本を借り
返却もできます。
それぞれの施設で開いている時間やお休みが違いますので注意してくださいね。
お問い合わせは中央図書館●(371)3351

2018-1-26

香雪美術館辺り

阪神御影駅から、山の手に向かって、テクテク歩きました。JRの高架下を抜けると、弓弦羽神社の石柱があります。それから、まだ山手幹線を渡るとようやく参道が見えてきました。
旧郡家村・御影村の氏神で、榎・樟などが茂る境内の森は、昭和49年に市の保護樹林に指定されています。桜の花びらが舞い落ちる中、境内を抜けて「香雪美術館」を訪れました。
朝日新聞社の創業者・村山龍平(むらやまりょうへい)が収集した古美術品を元に、1973(昭和48)年に開館した美術館で、館名の「香雪」は村山の号です。現在、企画展「生誕110年・三岸節子展」が開催されています。三岸節子は、1905年に愛知県に生まれ、東京に出て女子美術学校(現・女子美術大学)を首席で卒業しています。洋画家・三岸好太郎と結婚しますが、好太郎は31歳で急逝。その後、3人の子どもを抱えながらの苦しい暮らしに直面しながら、画家として生きていきます。
94歳まで絵筆をとり続け、亡くなった時にも指には絵の具が付いていたそうです。93歳での大作「さいたさいた さくらがさいた」は迫力のある作品です。
美術館のお庭と共に、御影山手の閑静な雰囲気や見事な石の塀なども見所です。
■三岸節子展
〜5月15日まで
10時〜17時、会期中無休
☎(841)0652

2016-4-22