須磨離宮公園のハチミツ「RIKYU HONEY」

須磨離宮公園で、オリジナルの蜂蜜”百花密”ができました。
今までありそうでなかったこの計画は、養蜂を通じて、地域との活性化を図ろうという「bee kobe」プロジェクトの一環として実施されました。
“蜂の獣医さん”のいる養蜂業者との連携で、今年の3月に、蜜蜂の巣箱を置いて養蜂を始め、4月19日に初めての蜂蜜の採集ができました。
穏やかな性格の女王蜂を輸入し、一箱に一匹の女王蜂に対して、約3000匹のメスの働き蜂を入れた箱が10箱置かれ、そこから放たれた働き蜂たちは、園内ではなく背後の山の中にまで遠征して蜜を集めてきます。その働き蜂たちは、花粉と水だけで、毎日ひたすら女王蜂に仕えながら蜜を集め、50~60日で命果てるということで、何やら人の世界とも重なり、切なくなりました。
さて、この「Rikyu Honey」まずは、そのままスプーンに落として食べてみました。今まで味わったことのない、香りも豊かで、深くて濃い味です。これをさらに、プレーンなクラッカーに弓削牧場の生チーズを載せた上に、タラリと落として食べてみると、この蜂蜜の個性や癖を損なわないで、うまくコラボができて違った表情の蜂蜜になりました。あっさりと癖がなくサラリとしたアカシア系の蜂蜜、に慣れてきましたので、初めて”外国人の顔をした蜂蜜”に出会った、かのような新鮮な驚きでした。
百花蜜「Rikyu Honey」とはよく名付けられていて、涙ぐましいまでの働き蜂たちは、離宮を越えて行ってますから、4月なら山桜系、5月はアカシア混じり、6月はモチノキ系など季節ごとの特定できない変化の楽しみがあります。
4~6月まで6回採集された蜜は640kg。
110g(1200円)、170g(1800円)の瓶あわせて2280個分になりました。この蜂蜜は、同園内で購入することができますし、レストハウスのカフェ”ガーデンパタジェ”でも味わうことができます。
私は、この蜂蜜の瓶を見る度に、働き蜂さんたちは、公園と山を何度往復してくれたのだろうか、といとおしくなりながら、お礼を言っています。

田辺聖子さんの事

1964(昭和39)年「感傷旅行」で芥川賞を受けられ、2000年には文化勲章を受賞された田辺聖子さんが、2019年、6月6日に91歳で亡くなりました。
田辺さんは昭和3年に大阪の福島にあった写真館の長女として生まれました。1945(昭和20)年6月の大阪大空襲で自宅が
焼失、19歳から金物問屋さんに勤めて家計を助けました。
傍ら27歳のとき、学生や社会人、主婦など幅広い人たちが小説や詩やエッセイを学ぶ大阪文学学校へ通い始めています。
実は私も、1994年から、三宮の案内所の勤務を終えてから、大阪文学学校の詩、エッセイのクラスに数年間通って、書くことの勉強をしました。日本で一番古い、働く人のための文学修行の場であるということと、この学校から田辺聖子さんという偉大な作家が生まれた、ということが、学校を選ぶときの大きな動機になっていたことを、今でも思い出します。
田辺さんの当時の担当講師(文学学校ではチューターといいます)が、毎週一回の、生徒の作品を持ち寄りお互いに合評をする授業にも100枚近くの作品をエネルギッシュに提出されていた、と言われていますので、どれ程の体力と気力で書かれていたか私には容易に想像できました。
1966(昭和41)年、神戸市兵庫区荒田町の開業医川野純夫さん(2002年死去)と結婚して、いきなり四人の子どもを持つことになりましたが、婚姻届けを出さず事実婚を通されていたとの事を知り、時代の先取りをされていた生きざまも知り驚きました。
「深いことを軽く、やさしく、面白く」が書く時の姿勢で、
軽妙な文章に加えて、人間への眼差しのやさしさを貫かれていたことは、「新源氏物語」を再読してみてもよくわかりました。
神戸市内の病院で亡くなられたその翌日、お身内でのお別れ会をされる所に、私も偶然行き合わせる事になりました。
大阪文学学校への入学から、田辺聖子さんに導いてもらったことも、また、最後、田辺聖子さんが眺められていたであろう同じ神戸の街の景色の中に、自分がいたことが不思議でなりません。
「時代の精神を歌う中島みゆきと、時代のライフスタイルを歌うユーミンを足したような人」が田辺聖子さんだと、いつもは辛口のライターさんが書いていたコラムに、深く頷きました。

さんちか 花のある空間

神戸で初めての地下街「さんちか」(昭和40年に出来た時はさんちかタウン)は、これまで、少し時代の少先取りをするために、斬新な企画や提案をしながら”街づくり”をしてきました。
例えば、JR三ノ宮駅、阪急三宮駅から繋がっている、大きなエスカレーターのある広場には、開業から五周年に「泉のある広場」(昭和45年)を造り、2年後の昭和47年には「彫刻広場」として360度どこからでも鑑賞できるARBA象を設け、多くの人に待ち合わせの場所として親しまれました。
現在も、見上げるようなな生け花や季節ごとのオブジェなど、常に注目されるようなさんちかならではの取り組みをしてきました。
二十周年には、メインストリートに面して「インフォメーションこうべ」という、市政・余暇・住宅相談のできる案内所を作りました。
さて、さんちかの通路や広場、階段には、一年中、通り行く多くの人に和みや安らぎをさりげなく演出している”花”があります。
これは、「さんちかタウン」が開業した時(昭和40年)からずっと神港農園芸さんがお世話されています。
太陽の光も風もなく、数十万人の人が行き交う通りで埃をかぶり、苛酷な条件の下で、いつも枯れた葉や萎れた花と丁寧に向き合われています。
駅を降りると、ほのかに、さんちかの広場近くから良い香りがしてきました。
階段の所に植えられているジャスミンでした。
花は、人の思いに応えるものだと思いながら、毎日感謝しながら階段を登り降りしています。

相楽園会館

北野の街並みからほんのわずかしか離れていない所に位置する日本庭園「相楽園」、元は、1885(明治18)年頃から着手されて1911(明治44)年に完成した、小寺泰次郎氏の邸宅でした。第11代神戸市長小寺謙吉氏の先代にあたる人です。
神戸市に譲渡され、「相楽園」と名付けられたのは1941(昭和16)年のことです。それまでは、「小寺邸」とか「蘇鉄園」と呼ばれていました。
神戸市が管理している重要文化財6つのうち、相楽園には「旧小寺家厩舎」「舟屋形」「旧ハッサム住宅」があります。
日本式の庭園ですが、正門から入ると、樹齢300年を越えるものも含め100株以上の見事な蘇鉄が迎えてくれ、なんとなく和風のなかに、南国的な不思議な雰囲気を醸し出しています。
相楽園の中にあり、55年に亘り、神戸市の迎賓館として交流の歴史を重ねてきた「相楽園会館」が、2018年12月12日に「THE SOURAKUEN」として生まれ変わりました。ウエディングやレセプション、予約制のレストランやパーティースペース、カフェなどがあります。
北野クラブ、ソラなどを手掛けている「クレ・ドゥ・レーブ」社が、伝統の上に革新的な味付けをして、リニューアルして開業しました。
カフェ「相楽園パーラー」で、ようやく念願のランチをしてきました。
6000坪の見事な庭園を眺めながらの贅沢な空間は、依然として変わりありませんでした。
林立するビルを借景の「相楽園」、真新しい風も愉しむことができました。
まさしく、あい楽しむ「相楽園」です。

須磨離宮公園の優雅なひととき

離宮公園は、元を辿っていくと、シルクロード探検で有名な大谷光瑞の西本願寺月見山別邸でした。ここを背後の山林と共に宮内省(当時)が買収し、天皇のご宿泊の為の別荘「武庫離宮」が完成したのは大正3年のことです。しかし、昭和20年その広大な敷地の総桧造りの御殿は戦災で焼失し、神戸市に下賜されて現在の離宮公園が完成したのは昭和42年のことです。
欧風噴水公園を間近に眺められるレストハウスは、開園当初からありましたが、「花離宮」として親しまれていた頃からだと、実に37年ぶりにリニューアルされて、ダイニング「GARDEN PARTAGE (ガーデンパタジェ)須磨離宮」が2月8日にオープンしました。大きなガラス窓からは、まるでベルサイユ宮殿にいるかのような庭が噴水越しに眺められ、私は今どこにいるのだろうか、と錯覚さえ覚えそうです。六甲山の市有林から伐採された間伐材が、テーブルや壁やカウンターに再利用され新たな命を紡いでいることも、心地よい空間に一役かっています。
神戸市内でも、すでにウエディングレストランやカフェなど手がけられている中村さんが、「この場所で」とこだわられての展開です。空間の創りかた、またひとつ一つに思いを込められたお料理は、ただキレイなだけではなく、どれもこれもここに来られた人が笑顔になるようなステキなものでした。
パタジェは、分かち合うという意味の造語です。
一人で静かに座って、深い歴史を持つ離宮公園に身を置いてみると、誰かとこの光、時間、空間を分かち合いたくなりました。
離宮公園には、山陽電車「月見山駅」から、私が最も好きな道、”薔薇の小道”を、道に設えられている薔薇の案内板をたどりながら歩いてくださいね。
須磨離宮公園 078-732-6688 木曜日休園
2019年2月22日

生田神社のこと

生田神社(西暦201年創建)は、初詣だけでなく、通年人気のスポットです。
元は、新神戸駅の背後にある砂山(いさご)にありましたが、約1200年以上前の水害で倒れた松が社殿を押し流してしまった、という伝承があり、それ以来、松は頼りにならない不吉なものになってしまいました。そのため、新年は、本来は神様が降りてくる階段のような役割の松を使った「門松」ではなく「杉盛り」が使われています。境内には一本の松の木もなく、くすのきが生い茂っています。この全国的にも珍しい「杉盛り」は、今や多くの人に知られるようになりました。
さて、神社の一番奥にあるのが第三鳥居で、東急ハンズの近くにあるのが第二鳥居、かつて生田神社の参道だったセンター街の南にあるのが第一鳥居です。この中で唯一朱色でないのが第二鳥居です。今年で阪神・淡路大震災から24年になりますが、
生田神社も拝殿も倒壊、また石の第二鳥居も根元から崩れてバラバラに折れました。復興を急ぐ生田神社に届けられたのが、式年遷宮で使われなくなった古財でした。再利用された鳥居は2015(平成27)まで使われて、引退しました。それから、再び伊勢神宮から、すでに60年間使われたものなので、内部に鉄骨や樹脂を入れて補強して、表面を化粧直ししてから使われているのが、白木のままの今の第二鳥居です。
こんな繁華街のまん中に、1800年以上の由緒のある神社があるのも神戸の人の誇りですが、伊勢神宮どのゆかりもある、ということもわかると、美しい木の肌の鳥居をくぐるのも何とはなしにさらにご利益があるような気がします。

2019年1月25日号

「米処 穂~みのり~」の話

元町5丁目に、去年できたばかりの”おにぎり屋さん”が「米処 穂」です。ずっと気にながらやっと行くことができました。
栄町通りに面した角にある風格のあるビルの一階に、お店はあります。
この建物は、大正年10年に帝国生命保険神戸出張所として建設。その後、日本放送協会関西支部神戸出張所(現NHK神戸支局)が、神戸地区最初の放送基地として産声をあげ、昭和24年まで活動、平成16年には国の登録有形文化財に登録されました。
この地域の語り部として大切にされているこのビルで「米処 穂」をされているのは、1902年に創業のコメ卸業、「神明」です。今年で創業116年という歴史を持ちながら、保守的なコメ業界の中で、”コメの総合カンパニー”を目指し、さまざまな取り組みを行っているのが「神明」さんです。
ブレンド米”あかふじ米”を流通させるなどは業界初の試みで、次々と改革を起こしてきました。
さて、お店はというと、天井が高く素敵な空間は、まるでお洒落なカフェバーのようです。
清潔な店内できびきびと働かれている店員さんも感じがよくて、しばらくみとれていました。
日本で一番高価とされている銘柄”いのちの壱”をもおにぎりにされています。丁寧に炊かれたお米は、一旦お櫃に移されて、余分な水分を吸わせてから握られたおにぎりは、ただ美味しいというのではなく、やさしい味わいでした。
私には、おにぎりにまつわる深い思い出がたくさんあって、外で食べたいと思ったことがなかったのですが、初めて、このお店でおにぎりを食べてみたい、と思いました。
神戸市中央区元町通5-2-8
☎078-371-2888

2019年1-1

元町映画館 ~街中のミニシアター~

元町通を歩いていて、偶然、あるポスターに目が留まりました。
「教誨師(きょうかいし)」という映画で、今年の2月に急逝した大杉漣(れん)さんの遺作となった作品です。実は、私も教誨師ではありませんが同様のことでお手伝いしていますので、ちょっと見逃せなくなりました。
この作品の、兵庫県下では唯一の上映施設(11月9日までの公開)が元町映画館でした。
どうしても見なければと思い、翌日、立ち見になる前でなんとか席を確保して、重いテーマの作品「教誨師」を鑑賞することができました。

元町映画館は、2010年8月に「地域の活性化」を目指し、地元密着型のミニシアターとして開館しました。
座席数は66席です。
近隣の映画館などとも連携しながら、収益性に乏しく、大きな映画館ではとてもかかりそうにない作品を努めて上映されています。
元町商店街では30年ぶりの映画館でした。
元町映画館のオーナーは、本業は、小児科のお医者さんの堀さんです。
元町に映画館がないのを憂い、映画好きだったこともあって、平成12年に2階建ての閉店したパチンコ屋さんを買い取りました。しばらくはその時が熟するのを待ちながら、8年後に映画館をオープンさせました。
シネコンでは見られないような隠れた名作、一般受けのしないような映画をセレクトしている”映画好きのための映画館”で、鑑賞している人のマナーの良さもあり、居心地の良い空間になっています。
また、運営や管理をされている林支配人さんのチャーミングな笑顔も、この映画館の魅力のひとつです。
ゆるゆると、ひっそりと映画の時間を過ごしたい人のための
空間、です。
神戸市中央区元町通4-1-12
☎078-366-2636

花時計 ~街中の名脇役~

神戸市内には、街の移り変わりを、密やかに見つめているものがいくつかあります。
その中のひとつが「花時計」で、1957(昭和32)年から、60年以上にわたり神戸の街を彩ってきました。待ち合わせや観光の名所として、また、居留地への道案内には欠かせない目印として大切な役割を担ってきました。
花時計誕生のきっかけは、宮崎辰雄元市長(当時は助役)欧米出張でした。その時に4つの花時計に出会いましたが、そのうち、ぜひ神戸の街にも同じようなものを造りたい、とモデルにしたのはスイス・ジュネーブのイギリス公園にあった花時計でした。 何しろ前列がなく、まずは海外からの情報収集から始まり、調査や研究が重ねられました。 文字盤が直径6mという大型時計も、当時圏内にはありませんでした。その上、傾斜角度15度の傾いた文字盤の上が 花壇になるということで、機械室の防水や防湿といったことも 含め様々な問題が山積でした。使う花についても、条件はたくさんあり、植え替えをする度 に必要な数千株の花がそれほど高価ではなく入手しやすいこと、時計の針の動きを邪魔しないような低い丈で、丈夫で長持ちすることなどです。
フラワーロードに面した神戸市役所の新庁舎(現在・2018年10月・の2号館)の 完成と同時に始動式が行われました。高松宮妃殿下が始動のボタンを押されると、チャイムが鳴り響き3000人の市民からの拍手と150羽の鳩、1000個の風船が舞い上がったそうです。
その「花時計」は、市役所の建て替えに伴い、仮説されるのでここにあるのは11月下旬まで。
神戸の60年を刻み続けた「花時計」。いつもここにあった、ということを脳裏に刻みつけておこう、と思います。

2018年10月

イニエスタ選手、ようこそ神戸へ

神戸ゆかりの美術館~エヴァンゲリオン展~

ポートアイランドに続く、神戸第2の人工島、「六甲アイランド」は着工から16年を経て1988(昭和63)年に最初の住宅街が完成し入居が始まりました。街開きから30年、今では、約二万人の人口を擁する海上都市になっています。島への足となる六甲ライナーが開業したのは1990(平成2)年のことです。
さて、その六甲ライナーに乗って、神戸ゆかりの美術館に行ってました。
アイランドセンター駅を降りると目を引くのは、UFOをイメージさせる斬新なデザインの「神戸ファッション美術館」です。日本で初めてのファッションをテーマにした美術館で、1997年に開館しました。その一階にあるのが「神戸ゆかりの美術館」です。
今開催されているのが「エヴァンゲリオン展」です。
日本のオリジナルテレビアニメ「エヴァンゲリオン」の魅力を紹介している本格的な展覧会です。
1995年にテレビで放映されて以来、幅広い世代から支持をされ、人気を集めている名作ですが、今回の展覧会では、総数約1300点の作品や資料をを展示しています。貴重な生原画なども初公開されています。
まさしく未来都市を思わせる六甲アイランド、他にも美術館がありますから、海からの風を感じながら散策してみてください。

会期:2018年7月21日~9月24日
午前10時~午後17時
月曜日 休館日
一般1000円 大学生500円