今、とっても気に入ってます、このお店~banga banga cafe~  

北野坂がこれから急になるところを、路地裏に入ります。
 こんな所にお店が?と半信半疑になりながら、手作りの小さな段ボールの粗末ながらかわいい案内板に誘われ、迷い込んだような住宅街に「banga banga cafe」はあります。このお店に連れてきてくれたのは、東京のデザイナーの友人でした、
三宮でお腹いっぱい食べていても、たくさんビールを飲んだ後でも、疲れていてお腹すいている時でも、雨が降って歩きたくない時でも、わざわざここに足を運びたくなるのは、なぜだろうか、といまだに不思議です。
ある日、頼んだのはオレンジジュース。店主の愛称ジミーちゃんは、山積みになっている箱の中から、両手に持ちきれないほどの宇和島ゴールドオレンジとキヨミとデコポンオレンジを抱え、一心に絞り始めました。この上ない贅沢な本物の味わいでした。
また、小腹がすいていたのでホットドッグを頼んだら、パサパサのロールパンではなく、クロワッサンにプリッとした上質のウインナーを挟み、フリルレタスを添えて出してくれました。
神戸駅から歩いてこの店を目指して来たというカメラマンさんがお腹減った!とカレーを注文しました。ジミーちゃん自慢のキーマ風カレーをむさぶるように食べながら、おいしい!とつぶやいていました。

インスタバエがするというお店の内観を見て、お洒落な若者集って来ていますが、ジミーちゃんは、その人気に溺れることなく何事にも真剣です。
お店の窓、扉、ペンキ塗りから水道管の穴堀まで、DIYもそのセンスの良さも半端ではありません。
将来の夢は、ケニアに行ってコーヒーの木を植えることと語ります。
ジミーちゃんがケニアに行くまで、不思議な北野町の一画で私もしばし夢を見ようか、と思っています。
お店は、兵庫区にあるおじいちゃんのしていたクリーニング屋さんの仕事をしてから、12時から夜中零時まで開いてます。
今のところ、風邪をひかない限りは休みません、とのことです。

中央区山本通1-4-3

℡08055273869

2022-5

とつておきの 内緒にしておきたい  さくらの名所

 

なかなか厚手のコートが手放せない日々。
もう待ちきれない、とせっかちな春が足早にやって来ました。
岡本梅林公園にもまだ行ってないのに、もう早、心はサクラの方に向かっています。
まずは、地元ならではの”さくらスポット”、「会下山公園」はどうでしょうか。ここは、1336年湊川合戦の時に楠正成がわずか700名の家来と共に、多勢の足利尊氏軍と戦い破れた古戦場でもあります。
地元の住民の方々に愛されている所で、神戸の街並みが海まで見渡せるすてきな公園です。また、忘れてならないのが、「植物学の父」と言われた牧野富太郎の研究所も、かつてこの近く「会下山小公園」にあったので、その碑があります。
さて、次は私のお気に入りの場所をご案内したいと思います。
神戸文化ホールを少し東に歩くと、宇治川があります。この川沿いが、私が最も好きなさくらの道です。
坂道の流れは、ゆるやかなS字状のカーブになっていますので、南側から歩き始めても先が見えてしまわないので、この先はどうなっているのだろうか、と何とはなしに期待を含んだワクワク感があります。
わざわざさくら見物に、というのでもなくて、お買い物の行き帰りに、とか何かのついでにこの道を歩いて見ようかと思う所です。
日常の暮らしの中の、とつておきの”さくらの道”。
これこそが、極上の贅沢かなぁ、と私には思えて、満開の頃ではなく、はらはらと散りゆくさくらの頃に、ひとりで歩いてみよう、と今から楽しみにしています。
そういえば、9年前に亡くなった母と一緒に見た最後のさくら、もここでした。

三宮神社 ~梅をもとめて

どこかに隠れていそうな小さな春の気配を、探してみたくなりました。
この季節ならば梅を見たい、と思ってお買い物や用事のついでに、ふらりと寄ることができる「三宮神社」を訪れてみました。
咲いていました。紅梅がこれからどんどん咲いていこう、というよい感じです。白梅もこれから出番を待っているところ、ロウバイもあって、車がどんどん行き交うこのような繁華街のまん中に、コンパクトに”小さな春”がありました。
三宮神社は、生田神社の裔神八社のうちの3柱目にあたる由緒ある神社ですので、昨今のブームで御朱印を授かりにくる若い人たちも増えています。
また、この地は、「神戸事件」の起きたところです。
1868(慶応4年)1月11日、現在の暦だと2月4日にあたる日、備前藩の隊列約5000人が、明治政府の命令により防備のため西宮へ向かう途上でした。午後2時くらいに三宮辺りにさしかかった時、外国軍艦の水兵(フランス人かイギリス人)が横切ろうとしたことに端を発した事件です。
ちょうど神戸の開港の最中、居留地は造成中で、数ヵ国の外国人がいました。切りつけられた外国人たちが黙っているわけはなく、あわや戦争という事態までいきかけましたが、滝善三郎の切腹によりなんとか収まりました。
これより数年前にも、同様の「生麦事件」が横浜で起きましたが、こちらは薩摩藩と戦争状態までになっています。
それに比べ、「神戸事件」は、備前藩第三砲兵隊長の滝善三郎ひとりに責任を押し付けた形で終息に至りました。政治体制がまだ確立していなかった中、明治政府としての初めて関わった外交問題が「神戸事件」でした。
事件が起きたときは、旧暦では、まだまだ寒い頃でしたから、梅はまだまだ固い蕾だったと思われます。
「三宮」という地名の元にもなった「三宮神社」の歴史、
不本意ながらだったのか、あるいは、武士としての本懐だったのか、滝善三郎の気持ちを推し量りながら、しばし神社に足をとめてみてください。

 八社巡り  ~節分の日の厄除け~

「地球の歩き方」(1979年創刊)は、ひと昔前、世界を旅する学生にとってはバイブルのような存在でした。が、海外旅行離れと紙の書籍離れに、海外渡航の制限が追い討ちをかけて売り上げはほぼ消滅。ところが、今国内の「御朱印」シリーズなど次々と巻き返しを図り活路を見いだしている、という記事を驚きつつ興味深く読みました。
御朱印での寺巡りブームは,全国的な傾向になっているようです。
さて、その神戸でのブームの、再来のきっかけのひとつが「交通局御朱印悵」です。
2014(平成26)年に、市バスの乗車促進のため、市バスで巡る参拝者向けのパンフレット「御朱印悵」(無料)を、5000部作成しました。ところが、あっという間になくなり、すぐに15000部を増刷することになり、8年間で既に4万部を配布、案内所での根強い人気者になっています。
神戸には古来、節分の日に、一宮から八宮までの数字を冠した神社を巡拝して厄を払い願いを祈る風習がありました。
古文書には、生田神社と縁故の深い「裔神(えいしん)」として、8社の名が記されているので、少なくとも江戸時代にはこの風習があったのではと推測されています。一時下火になりましたが、戦後、神戸の厄除八社として協力、今のブームに繋がってきました。八社の位置を地図で見てみると、生田神社を北斗七星の柄杓で囲むように配置されています。
一宮から順番にとか、厄除けに拘らなくても、思いたった時を吉日にどの神社からでも初めてみてください。
一巡すると約13キロ、歩くだけで3時間はかかりますので、市バス・地下鉄も利用してくださいね。
「市バス八社巡り」御朱印悵には、田辺眞人先生による詳しい解説が載っています。
御朱印悵は、市営地下鉄の各駅や神戸市総合インフォメーションセンターなどに置いています。

2022-1

那須与一の墓所、那須神社

昔から、私の勤める案内所には珍しいお問い合わせが時々あります。
ここもその一つで、今回は、「ここに参拝するとシモのお世話にならない」という不思議な言い伝えのある「那須神社」を訪れてみました。山陽電車「板宿」駅で下車して市バス5系統に乗り、約15分で「那須神社」に着きます。
わずか二車線の狭い道路は、通称”三木街道”(県道神戸三木線)ですが、行き交う車両のあまりの多さにびっくりしながら道路をなんとか横断して、「那須神社」にお参りしました。
いかにも地元の方々が守ってこられたという風情の、素朴な神社です。
那須与市宗隆は、下野国(栃木県)で生まれ、わずか10歳で弓を射る才能を得ました。源平合戦に際して、12歳で源義経から源氏入りを誘われ、数々の戦陣に加わりました。
屋島の合戦では、平家方の扇に弓を命中させたという逸話で一躍注目された若武者です。
晩年に、与市は源平合戦で亡くなった武士たちを弔う旅に出ましたが、その道中で「中風」を患い、この地で亡くなった、と伝えられています。半身不随になり、村人からシモの世話になりながら息を引き取った与市。
村人が自分と同じようにならないように、との強い思いを抱いていたのては、ということから、いつの間にか「シモの世話をかけすに往生できる」という言い伝えに繋がったようです。
9月7日の与市の命日や月命日には、下着、はんこを押してもらう人もいたようですが、今ではその数も少なくなったようです。那須神社の向かい側に墓所があります。

2021-12

隠れた紅葉の名所〜徳光院

 

桜の頃ほどではありませんが、秋が深くなってくると、どこか紅葉狩りに行きたいなぁと気持ちが少し騒ぎます。
テレビや新聞などでどんなに美しい紅葉や黄葉を見ても、奈良や京都まではと、なんとなく億劫になってしまいます。
そこで今回は、中央区にあるのにそれほど知られていなくて、思いたったら歩いて行ける、紅葉の美しい所をご紹介したいと思います。
新神戸駅の下を通り抜けて、すぐ背後にあるレトロな砂橋(いさごばし)を渡り、布引の滝に向かって坂道を登って行きます。その途中に「徳光院」はあります。
この付近は砂山(別名丸山)といわれ、生田神社が最初に祀られていた場所でした。が、古い時代に大雨で流され、今の位置に移ったと伝えられています。
徳光院は、1905(明治38)年に川崎造船所の創業者、川崎正蔵が建立した臨済宗の寺院で、境内にある多宝塔は国の重要文化財に指定されています。
新緑の頃の青紅葉も、なんともいえない風情がありますが、やはり紅葉の頃は見上げるような大木が、朱色や黄色にお化粧しているかのような様は、豪華で見事です。
そのまま見とれながら滝の方に足を伸ばし、4つの滝の音を聴きながら下山するのも楽しいでしょうか。
こんなに近くで、”錦繍(きんしゅう)”を味わうことができるのも、神戸ならではの贅沢かもしれません。

神戸市中央区葺合町布引山2-3
電話078-221-5400

2021-11

元町商店街のスズラン灯

今年は、季節が思いの外駆け足で、あっという間に秋がやって来てしまいました。簾や風鈴や扇風機と同居したまま、慌てて羽毛布団を引っ張り出しています。
こんな夕暮れ時の私の楽しみは、灯りです。
西の空に落ちていく日の残照を眺めながら、三宮から元町まで歩き、大丸前のスクランブル交差点から眺める「市章」と「錨」の電飾もその楽しみのひとつです。1933(昭和8)年に第一回みなとの祭りが開かれたのを記念して、錨山と市章山が点灯され、初めて錨と市章が夜空に輝きました。以来、裸電球からLEDになりましたが、雑踏の中でふと見上げて目に入ると、あたたかい気持ちになる電飾です。
さて、交差点から元町商店街に入ると、まずアーケードを見上げます。東西約1.2キロの元町商店街には、約200基のスズランの形をした街灯「スズラン灯」が設けられています。
江戸時代、この商店街は京都から九州への西国街道でした。1868年に神戸が開港されてから6年後、1874(明治7)年に”元町通”と名付けられました。その後元町商店街は様々な時代の波にもまれましたが、京都についで日本で2番目にスズラン灯を設置することで、明るい商店街になりました。昭和5年に封切られた映画「神戸行進曲」には、主題歌にスズラン灯が歌われているほど、元町商店街のシンボルとなりました。
元町一番街と3丁目から6丁目まで、花やランタンなど五種類のスズラン灯がともっています。
元町商店街のスズラン灯に見守られながらのそぞろ歩き、神戸ならではの楽しみ方の一つです。

さんきたアモーレ広場、リニューアルオープン

「パイ山」とか「でこぼこ広場」という愛称で親しまれてきた「さんきたアモーレ広場」は、お隣の「神戸阪急ビル」の建て替えに伴って、2016年から閉鎖されていましたが、いよいよ再整備を終えて5年ぶりにオープンします。
前の広場は1985(昭和60)年に、地下鉄三宮駅が作られるときに整備されたもので、屋台が出されたり自転車が放置されないように3つの小さな山が設けられていました。その当時、会社のオリエンテーションなどで、なぜ「でこぼこ」があるのか、という質問が出されていたことを記憶しています。
また、数年前に正式名称の公募をした時の審査員の一人として、「さんきたアモーレ広場」という命名にも立ち会ったこともあり、思い入れがあります。
待ち合わせの名所として、一日中老若男女問わず多くの人がこの広場を利用していましたが、道路の一部だったので活動やイベントなどはできませんでした。
今春オープンの予定が、コロナ禍で延びていて、10月上旬には、お披露目される予定になっています。
若き女性の建築家のデザインによる新生「さんきたアモーレ広場」は、前よりも多様な活用ができるような広場を目指しているとのことで、まずは、パフォーマンスイベントも企画されているようです。
リニューアル後は、かなり広くなって、西側のさんきた通りともバリアフリーで繋がることになります。
三宮での待ち合わせ、楽しみです。

2021-9

おとなの隠れ家 ~cafe シフォンの風~

JRの「朝霧駅」に降り立つのは、初めてでした。改札口を通る前に、眺めの良い場所がありますよ、と教えてくれたのは、職場の仲間であり、今日行こうとしているお店が出来た時からのファンでもある人からのアドバイスでした。
芦屋の自宅を早めに出て、光る海を見ながらワクワクと遠足気分です。駅の階段を上がると、大きなガラス越しに、その絶景ビューポイントが現れました。明石海峡大橋の先には淡路島が程よい距離で位置しています。夏のむくむくとした雲を背景に、色とりどりのビーチパラソルが並んでいて、この景色に、しばし足を止めて眺めていました。
さて、駅から線路沿いに歩いて15分くらい、まさしく住宅街の中に「シフォンの風」が、ひっそりと在りました。
オーナーの中村加奈さんがご自宅を改装して、「シフォンの風」をオープンしたのは、20年ほど前のことでした。
手入れの行き届いたこじんまりとした中庭には、大きなしだれ梅の木や、勢いのあるトクサ、大きなカラーがこぎれいに配置されています。お庭を眺めながらのテラス席が好きな人もおられるとのこと、野鳥や、気まぐれな野良猫たちがやって来るのもランチのお供にできそうでした。
この日は、ビーフシチューにサラダ、キュウリのおつけものに、わさび味ふりかけトッピングご飯、私は珍しくお代わりまでしてしまいました。食後は、吟味されたブレンド豆を、サイホンでたててくれました。
日替わりのメニューは豊富で、タコライス、コロコロステーキやホットサンドなど、加奈さんが自分で食べたいと思うものを、ネットなども駆使して研究しているとのことでした。
1日に何度も足を運ぶ人、美味しいコーヒーだけを飲みに来る人、また口コミで遠くから車でわざわざ来る人に加え、近所の子どもたちまで、安心して立ち寄ることができる”居場所”
になっています。
設えや調度品などが吟味されているのに加えて、北野町の有名なお店を設計した人の飛び抜けたセンスや拘りが、天井の壁紙から室内随所にあり、いくら眺めていても飽きることがありません。
でも、なんといっても、この居心地の良さは、ふんわり、ゆったりした加奈さんの纏っている空気かもしれません。
「cafe シフォンの風」には、いつも、柔らかなカーテン越しの風がそよそよ流れている、ようです。
明石市朝霧町1-20-1
10:00~16:00
日曜日休み  078-914-1231

ポートタワーは「鉄塔の美女」

高さ108メートルの「神戸ポートタワー」は、神戸開港90周年を記念して1963(昭和38)年11月に開業しました。
その当時の原口市長が、オランダのロッテルダムにあった「ユーロマスト」というタワーに刺激を受け”ハイカラな神戸の街にふさわしい斬新なデザインのタワーを”という視点から、世界に類のない中央がくびれた鼓形のデザインが選ばれました。
エレベーターの周りに、直線の鋼管を斜めに組み合わせて美しいくびれのラインを作る、というのは、設計者の多田さんが籐の椅子からヒントを得た、といわれてます。まっすぐのままのパイプできているあの美しいウエストラインを眺める度に、私はこのタワーです生まれた秘話に感動しています。
当初銀色にする案もありましたが、お天気の悪い日など周囲となじみ,見えにくいなど航空法上の理由で東京タワーと同じ赤と白のペンキで塗られるごとになりました。潮風にも錆びないように船舶用のペンキが使われました。
老朽化が進んでいることから、リニューアル工事をすることになり、今年の9月26日から、タワーが60周年を迎える2023(令5)年まで営業を終了することになりました。
リニューアル工事を前に、タワー誕生から現在までの歴史を振り返る「ポートタワー写真展」が31日から開かれ、貴重な写真25点が展示されます。
地上3階の展示スペースは入場無料です。
神戸港の発展を見守ってきた「神戸ポートタワー」と自分の歴史も重ね合わせてみてください。