那須与一の墓所、那須神社

昔から、私の勤める案内所には珍しいお問い合わせが時々あります。
ここもその一つで、今回は、「ここに参拝するとシモのお世話にならない」という不思議な言い伝えのある「那須神社」を訪れてみました。山陽電車「板宿」駅で下車して市バス5系統に乗り、約15分で「那須神社」に着きます。
わずか二車線の狭い道路は、通称”三木街道”(県道神戸三木線)ですが、行き交う車両のあまりの多さにびっくりしながら道路をなんとか横断して、「那須神社」にお参りしました。
いかにも地元の方々が守ってこられたという風情の、素朴な神社です。
那須与市宗隆は、下野国(栃木県)で生まれ、わずか10歳で弓を射る才能を得ました。源平合戦に際して、12歳で源義経から源氏入りを誘われ、数々の戦陣に加わりました。
屋島の合戦では、平家方の扇に弓を命中させたという逸話で一躍注目された若武者です。
晩年に、与市は源平合戦で亡くなった武士たちを弔う旅に出ましたが、その道中で「中風」を患い、この地で亡くなった、と伝えられています。半身不随になり、村人からシモの世話になりながら息を引き取った与市。
村人が自分と同じようにならないように、との強い思いを抱いていたのては、ということから、いつの間にか「シモの世話をかけすに往生できる」という言い伝えに繋がったようです。
9月7日の与市の命日や月命日には、下着、はんこを押してもらう人もいたようですが、今ではその数も少なくなったようです。那須神社の向かい側に墓所があります。

2021-12

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