牧野富太郎のこと

六甲山頂(931m)にほど近く、海抜865mのところに「六甲高山植物園」はあります。年平均気温は9℃、真夏でも早朝は25℃位という涼しさです。
高山植物を中心に、合歓の木やササユリといった六甲山の自生植物、約1500種が展示栽培されています。中央アルプスなど、高い山に登らないと出会えないような植物を、間近で見ることができる貴重な場所です。 同植物園は昭和昭8年に開園。今年で、80周年を迎えます。”日本の植物学の父゛といわれる牧野富太郎博士の指導の下、設計しました。
ここで少し、牧野富太郎のことにふれてみましょう。今年、生誕150年になる牧野は、高知県の裕福な商家に生まれました。が、調査研究に惜しみなく財産を注ぎ込み、結果的に多額の借金で困窮を極めることに。その時、手を差し伸べたのが、神戸の素封家で、南蛮美術の収集家としても有名な池長孟です。大正5年、会下山(兵庫区)に、牧野の標本を収蔵する「池長植物研究所」が出来ました。現在は、研究所跡の碑と、牧野が投宿していた「会下山館」の門柱だけが残っています。 牧野は、また、昭和天皇の標本を最初に鑑定した人でもあります。

私が今でも記憶に残っているのは、昭和56年ポートビア博覧会の時に、昭和天皇が六甲高山植物園を訪れられたこと。彼とゆかり深い植物園だから足を運ばれたのかどうか…、知る由もありません。 これからの同園はヤマユリ、キレンゲショウマ(石鎚山などに群生)などが見頃になります。涼しい植物園で、お花の大好きなスタッフのガイドを聞きながら、また、牧野富太郎という植物学者が、大正、昭和と残した神戸での足跡にも、思いを寄せてみてください。彼の学問の集大成「牧野日本植物圖鑑」を持って…。

 

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